以前広島の街 : 流川(昼の風景)という記事を書きましたが、まぁ流川と言えば夜の街。
ようやく今回は夜の流川の様子です。
以前も書きましたが、中四国一の歓楽街である流川は、広島の商業の中心である八丁堀から平和大通までの区間を、ほぼ中央通りと並行する形で続いており、初夏のとうかさん、初冬のえべっさん (胡子大祭・えびすこう) など、広島を代表する風景の舞台でもあります。
一方で、平塚の記事でも触れましたが、特に中央通りから京橋川にかけては経済的な影響力も強く、戦後の広島の表も影も形作ってきた、街のもう一つの主役という側面も持っています。
ちなみに流川と言う名は、戦前、このあたりに「竹屋川」と呼ばれた川が流れていたことに由来するといわれています。(広島の風景 : 七つの川⑦ 「消えた川」)
広島城から南に延びる鯉城通りを境にするなら、その頃は平和公園から広島市文化交流会館(旧厚生年金会館)とアステールプラザにかけてが商業の中心地でしたから、ちょっと街外れの裏町、という位置づけだったのかも知れません。
流川の名を一躍有名にしたのは広島を舞台にした戦後の某映画でしょうけれど、そこまでではないにしろ、流川は怖いところだ、というイメージは子供のころは確かにあった。
流川と中央通りの間にブラックジャックと言うゲームセンターがあって、喧嘩やカツアゲの"メッカ"でしたしね。
それでも新天地交番を心の支えに、ふらふらと出かけて行ったもんです。
その頃に比べたら随分と健全な繁華街になりましたよね。
新天地公園の怪しげな人だかりは消え、写真を撮ってもドツキまわされることも無く、ポン引きはすぐにあきらめ、やたらと空車タクシーだけがあふれ返った夜の街。
それでも、やっぱり西日本では最大級、という輝きは残ってると思いますよ。
(左:結局お世話になることは一度も無かった、流川の南西側入り口にある新天地交番。右:まだ23時なのにガランとした新天地広場)
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さて、そんな流川も最近はおしゃれな店も結構増えてきてますね。
その多くは地名で言うと堀川町あたりに集中しています。(流川は堀川町・流川町・薬研堀一帯の総称)
狭い意味での流川町は駐車場だらけになり、昔ながらの所謂歓楽街や風俗街は薬研堀にあります。
地方都市は他もそうなんでしょうが、歓楽街である流川も、周辺地域に色んな影響を与えてきながらも、その中に取り込まれるように存在しています。
例えば先述の平塚には関連事務所がポツポツあり、富士見町、竹屋町、鶴見町あたりには上層関係者のマンションや部屋があり、京橋川を越えて離れていけば、一般関係者の寝床があり、とまぁそういった具合です。
最近は、結構バラけてるんでしょうけどね。昔は「そうだと言われていた」という程度かもしれない。
一方で、並木通りや、広島で最も高級な住宅地でもある幟町もすぐそば、ってのが面白いですよね。
幟町なんて薬研堀まで歩いて十五分程なんですがね。
(左:増えつつある新しい雰囲気の店。右:広島で人気のある鉄板・お好み焼き屋、流川にも店を出している)
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これからの流川。どうでしょうね。
ただの飲食店街にはなって欲しくないなぁ。横川が寂れた今、もう流川ぐらいですもんね。やっぱり、あの少しはギラついた色を残していって欲しいですよ。
それからやっぱり流川は祭りの似合う街ですからね。
とうかさんにせよ、えべっさんにせよ、やっぱり流川が盛り上がらないと肩透かしな感じですから。
新天地交番のオッサンがあくびしてる暇もないぐらい、賑わってほしいですね。
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