鯉城とも呼ばれる広島城。
築城は1589年。無論、現存するものは、堀などを除き、戦後に作られたものです。
広島城は市内中心部にあり、紙屋町からは徒5分ほど、旧市民球場からもその姿がよく見えました。
広島城は、このサイズの都市としては立派な城の部類に入るんだと思います。
それはつまり、明治時代から太平洋戦争にかけて破壊された城の中ではよく復元された部類、ということです。
天守閣は残念ながら質素なものですが、お堀は立派。
太平洋戦争でご存知の通り焼け野になった広島ですが、街の中心部にこれだけ立派な城あることを考えると、かえって中心部の人口の激減と、広島城に対する当時の人々の誇りを感じます。
城のすぐ南側には内堀内に護国神社があり、堀を挟んで池田勇人の銅像が立ちます。
護国神社は宮島の厳島神社と並んで広島では多くの人が訪れる神社で、カープやサンフレッチェも必ずここで年初に必勝祈願を行います。
思えば、県庁があり、バスセンターがあり、広島城が復元され、その近くに市民球場が設立され始めた戦後の紙屋町はさぞかし活気溢れる街だったんでしょうね。
広島城には面白い話もいくつか残っており、古いもので言うと、福島正則が「幕府に申請せず」石垣を改修し、川中島に左遷された話なんかが有名ですよね。
その他、戦後、食糧不足が深刻な中、お堀に茂った蓮を取り除くために、付近の農家に「自由に蓮(レンコン)を取っていい」というお達しがでた、とか、臨時帝国議会が行われたり、外堀跡地が広電の線路になったり。
最近ではやや市民生活から離れてしまった印象もある広島城とその近辺ですが、かえってのんびりとした空気が流れ、市民の散歩コースにもなってるみたいですよ。
こじんまりした天守閣(左)と護国神社(右)
立派なお堀端
お堀端に立つ池田勇人像(左)と堀越しに望む紙屋町(右)
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