広島にある中四国一の歓楽街が流川です。
本通りの東、八丁堀の南東にある数本の通りから成り立つ歓楽街で、飲み屋や風俗店が所狭しと軒を並べます。広島三台寺社祭
「とうかさん」の舞台も、ここ流川の南西端にあります。
過去にも歓楽街特有の治安の悪化や色々な問題を抱えてきた流川ですが、2000年あたりから不景気の煽りか、多くの店が姿を消しました。
市内の他の場所に新しい飲み処が次々にできる中、流川の老舗の多くが苦戦を強いられたためです。
最近は新しい店も増え、また人が増えつつあるような印象があります。
ただ、そこに息づく人々はもしかすると市内でも最古参の風景を見せてくれているかもしれません。
下の写真を見ていただいても分かるとおり、まず街並みが古い。
そこかしこに電柱・電線の残る風景は中心部ではここだけかもしれません。
同じように、看板も、古い。
そしして、地名が流川町、堀川町、薬研掘、と実に古風。
流川中心よりやや西よりにある(東)新天地公園には、紅桃花稲荷大明神なる神様が祀られており、実に昭和的な歓楽街を感じることが出来ます。
こちらは流川の西側の入り口(中央通沿い)
大手ビール会社がしのぎを削っている様がよくわかります
こちらが昼間ののどかな新天地公園と紅桃花稲荷大明神
懐かしげな流川の街並み
私達広島市内に生まれ育った人間から見ると流川はずっと怖い街・華やかな街でした。
中学生ぐらいになって、流川の南端にあったボーリング場に出入りし始めた。
高校生ぐらいになって、ようやく昼の流川に出入りできるようになった。
大学生になり、大人になって、ついに夜の流川で酒を飲めるようになった。
とうかさんに行って本通りではなく、流川に行くようになった。
八丁堀やパルコ前で集合して、流川に行くようになった。
野球を観にいった帰りに新天地で合流して、流川に行くようになった。
流川はそういう街です。
今よりまた一層の喧騒が戻ってくるといいですね。
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