広島随一の繁華街で、本通りの北東、丁度東の端から1ブロック、中央通りと紙屋町から駅に向かう電車通りが交わるあたりを八丁堀と呼びます。
広島の老舗デパート「福屋」、岡山発で、こちらも古くから店を出している「天満屋」それに少し南に下ればパルコが、東に向かえば三越があります。
同じく繁華街の紙屋町が比較的オフィス街に近く、デパートの「そごう」を中心に、やや「ハイソ」な雰囲気を漂わせているのに対して、こちらは流川も近く、庶民的というか、ローカルな雰囲気が漂っています。
バスセンターやアストラムラインの駅がある紙屋町や、広島駅(南口)周辺と比べるとやや交通は不便ですが、逆に最も賑わっているというのも不思議と言えば不思議。
広島三台寺社祭の内、「えびすこう(えべっさん)」や「とうかさん」の舞台もすぐ傍です。
平日の夜は買い物に集まった奥様方で、金曜日の夜は流川に向かうスーツ姿の者達で、週末は学生や若い人たちで賑わう場所で、お祭りなどの影響もあって、季節や曜日で景色が変わるのも特徴の一つ。
マツダスタジアムでの試合の後は、また全然違う光景ですしね。
こちらはパルコ前から中央通りを北側に望んだ風景
中央奥に見えるのが「天満屋」です
そしてこちらは東側から電車通り沿いに八丁堀を望んだ風景
右側の写真では、手前から「三越」「天満屋」「福屋」が並んでいます
こちらは夜の八丁堀交差点(左が「天満屋」右が「福屋」)
実は八丁堀は必ずしもずっと「良い街」であったわけではありませんでした。
流川が近いこともあり、色々な事件もありましたし、1999年のえべっさん時には不幸な事件で全国紙の一面を飾ったなんてこともありました。
また同時に、この交差点で色々な試みが行われてきました。
最近では車両右折禁止化、タクシー待ちの禁止など。
街の概観は大きくは変わっていませんが、街頭大型モニターがついたり、周囲の映画館が相次いで閉鎖されたり。
それでも結局、そんなことお構い無しに今日も八丁堀の電停で、バス停で人が乗ったり降りたり。
甘栗の匂いがし、待ち合わせの人が出会う声がします。
紙屋町と比べても、比較的「変わらない街」なのかもしれませんね。
ちなみに、東京都内にも同じ地名の場所がありますが、東京の八丁堀はトーンを変えることなく、やや「掘」に力を入れつつ「はっちょうぼり」と読まれるのに対して、広島の八丁堀は、「丁」に力を入れ、イメージとしては、「はっっちょおぼり」(「超」と同じトーンで)呼ばれます。
八丁堀天満屋が閉店したことは残念です。八丁堀天満屋は1954年に開業して以来58年近く営業してきました。八丁堀天満屋は中四国で一番人口が多い都道府県の県庁所在地の市内中心部にあった天満屋で八丁堀天満屋が閉店したことにより中四国で一番人口が多い都道府県の県庁所在地の市内中心部の天満屋はなくなってしまいました。八丁堀天満屋の閉店は反対していてご意見箱に天満屋を存続してほしいことも書いていました。八丁堀天満屋は増築を繰り返し1973年3月に地上12階(12階は屋上)、地下1階と現在の姿になりましたが2002年頃の夏を最後に屋上は閉鎖され2008年に8階までとし、2010年には6階までと天満屋を縮小して7階~11階はジュンク堂やアレッタなどに変わりました。八丁堀天満屋の地下1階~6階はヤマダ電機が入る予定ですが屋上がこれからどうなるかは分かりません。広島市には八丁堀天満屋の他にアルパーク天満屋と緑井天満屋もありますがアルパーク天満屋と緑井天満屋は市内中心部ではなく郊外にあることになります。八丁堀天満屋は閉店してほしくありませんでした。八丁堀天満屋の7階~11階は継続です。
投稿情報: ミッキー | 2012/03/05 15:55
ミッキーさん
そうですよね。なんと言うか、やっぱり八丁堀の天満屋とアルパークや緑井のものとは違うんですよね。
ジュンク堂など大型本屋を入れても変わらず、結局家電量販店に身売り、というケースはここ数年、東京も含め、全国で見ますよね。
私個人としては、あの建物だけでも残して欲しいと思いますね。
コメント、ありがとうございました!
管理人
投稿情報: 管理者 | 2012/03/11 20:37