太田川は祇園で放水路と分流して本川になり、さらにそこから猿候川(京橋川)と分流する訳ですが、その猿侯川の南西側が主に「白島」と呼ばれるのに対して、北東側は「牛田」と名のつく地名が並びます。
牛田旭、牛田本町、牛田南、東、中、そして牛田早稲田。それらの中でも、最も西より、丁度本川との付け根にあるのが牛田旭です。
市内からだと紙屋町からアストラムライン沿いに、広島城を右手に、基町の高層アパート群を左手に見ながら進んで行けば、やがて猿候川への分流地点に差し掛かり、右手に不思議な橋が見えてきます。
その名を「工兵橋」という、歩行者専用橋です。
広島ではあまり見ることの出来なくなった歩行者専用橋で、途端に緑溢れる光景に、思わず目を奪われる事と思います。
現在の工兵橋は昭和29年に造られた半木造のつり橋で、数ある広島市内の橋でもかなり珍しいですね。
天気の良い日に歩いて是非渡ってみてください。木造の橋は時々風に煽られ、周囲の緑はゆったりと流れる川に映り、渡っている間、まるで異郷へと足を踏み出すような、不思議な感覚を得る事でしょう。
80メートル弱の橋を渡り終われば、そこが牛田旭です。
橋を渡り終えると、目に入ってくるのは造りたてのマンションと、広い空き地。
右手に行けば牛田に並ぶ一軒家群ですね。直ぐ上の写真にもあるように、高いマンションなんかは橋から離れるともう殆ど無くて、一軒家が多いです。
空き地とマンションの間を抜けていくと、なんだか古めかしい低層アパート群が目に入ってくるはずです。
これ全部国家公務員の宿舎だったり、JRの持ちアパートだったり、なんです。
それはもう年季が結構いっていて申し訳ないぐらいです。
なぜ牛田に?
そう、「工兵橋」という名前からも分かるように、実はこの辺りは昔の工兵作業場、即ち今で言う軍隊の演習場と倉庫にあたる場所だったんです。
ちょうど公務員宿舎から今の安田学園の辺りにかけてですかね。戦前には軍都広島の一端を支えていた作業場が在った。しかし戦後になって軍が解散すると、いきなり国の所有空き地がぽっかり出来たんでしょう。そこで猿候川より北側には公務員宿舎が造られた、という訳みたいです。
右の写真をクリックして拡大してみてください。工兵橋の説明なんですが、ちょうど当時の地図が載っていて分かりやすいかと思います。
現在までずっと緑が多いのも、そんな理由からかも知れないですね。
そんな公務員宿舎ですが、如何にも当時の建築といった感じで、これはこれで趣がありますよね。
住んでらっしゃる方にとっては趣もへったくれも古くて住みづらいだけだよ、って感じでしょうが、マッチ箱を横に立てたような造りに、半二階の家。アパートの前のちょっとした広場には緑が溢れ、倉庫が置いてある。
何とも懐かしく、さながら荒城の如き平和がある。
かつてエネルギーに溢れた場所だったその中庭は、今は草花や虫、鳥達でいっぱいです。
一方、下の写真は新しいアパート(マンション?)。まだできたてで、入居している様子は無かったですね。
住むには当然、そして断然便利なんでしょうが、どうでしょうねぇ。プラスチックで造ったみたいなこのマンションが、あぁ懐かしい景色だなぁ、と感じる日も来るんでしょうか。
結構長くなってきてしまいましたね。
じゃあ、ここから大通りを歩いた所にある牛田の公園と東区スポーツセンターの話は、また次回。
尚、工兵橋までは紙屋町から歩くと結構あります。
バスセンターからバスに乗るか、アストラムラインで白島の駅まで行ってください。牛田まで乗ると乗りすぎなんで、要注意。
案外、広電白島線の白島電停から猿候川に出ての散歩、というルートもいいですよ。
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