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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語【2】-(5) : 「銀山町からトボトボ歩いて」
「ほいじゃったら、今夜は銀山町に集合で」
「電停から流川側に渡ったところに六時な」
「はぁ、分かりました」
納涼会、というのをやるらしい。
ボクが広島に移った時も、別に歓迎会らしきものはなくて、カエデさんを除く四人が昼飯を代わる代わる食わせてくれたぐらいだったから、支店六人全員の飲みなんてものはもちろん初めてで、支店長とは二度ほど、外回りの帰りに飲みに行ったが、それ以外の人とは初めてだった。
「オヤジさんは酒癖が悪いけぇのぉ」という、ヤマネさんの不吉な声がこだまする。
オヤジさんことブンゾーは外回り中だ。
今日はやたらと機嫌が良さそうなカエデさんが「今年のお店はねぇ」などと言って説明して回っている。
「あれ、キミ、初めてだっけ?飲むん」
「はぁ、そうですね。カエデさんだけじゃなくて、オヤジさんともヤマネさんとも、クサツさんとも初めてです」
「根暗じゃねぇ。てか、支店長とは、行ったん?」
「はい。二度ほど」
「気持ち悪」
なぜ、気持ち悪いのか。確かに支店長はヌボっとしていて、二人で一緒に飲みに行っても、あまり喋ったり、笑ったり、酒が入って変わるタイプではない。適度に酔っ払って、「うぅ眠いのぉ」とか何とか言って、十一時前には切り上げる。健全と言えば、健全だ。
「金曜なのに銀」という訳の分からんオヤジギャクを振りまくヤマネさんを無視して、外回りに出かける。
広島に移ってきて五ヶ月。ようやく慣れた、という感じがする。
何と言うか、東京でもそんなものなのか分からないが、はじめ「ヨソイキ」だった問屋や業者の態度が、少しずつ溶けてきた実感があるのだ。
相変わらずディープな広島弁は分からないし、ドライなのかアットホームなのか分からない支店の勝手に戸惑うこともあるが、少なくとも、外回りは軌道に乗ってきたような気がする。
夜は銀山町だし、幟町辺りを回るかぁ、と思い、鞄に入れたお手製問屋マップを広げる。外は灼熱だが、広電に乗るとクーラーが程よく効いていて、そんなに人も乗っていないから暑苦しさはない。
思えば東京の地下鉄は、急に人が増えたり、変な匂いがしたり、車両によっては咽かえるように暑かったり。
バスで行った方が近い場所でも、思わず広電に乗ってしまう。なんだか、この路面電車のゴトゴトという音と揺れが、ボクは気に入っていた。
「営業さん?」
不意に隣の初老の女性に聞かれる。白いハンカチで額の汗を拭いながら、買い物籠を足元において、「暑いねぇ。スーツなんか着て、大変じゃろぉ」と懐っこい笑顔で微笑んでくる。
東京だけじゃなく、どこの地方都市でもそうなんだろうが、こういった人に出会うのは、もはや奇跡的体験だ。
電車で隣合わせた見知らぬ人に屈託無く話しかける。それだけのことが、この世で一番難しいことかのように、存在を消している。
ボク自身、こうやって話しかけられるのは、広島に来て二度目だった。
「はい。ジュースとか、飲み物を作ってる会社でして。外回り中なんです」
ボクは少し砕けた表現と表情でそれに応える。
「はぁ、そりゃあ大変なことで。暑い間が稼ぎ時ですねぇ」
女性は、本当に大変なことをボクがしているかのように、ボクの身を案じる表情をした。
本当のところ、清涼飲料は暑い時が稼ぎ時なんかではない。暑すぎると、人は外で飲み物など買わないのだ。
それでもボクは、それを指摘することなく、女性にお辞儀をして、銀山町の電停で下りた。
女性はニコニコと「頑張ってくださいね」と言って、また窓の外を見つめた。
ボクは銀山町から炎天下の中をトボトボ歩いて、今夜の飲み会とは逆方向に営業に出かけた。
「クサツはまだ来んのかぁ」
ブンゾーが怒鳴る。広島では「おらぶ」と言うらしい。
確かに、ブンゾーの酒癖は悪かった。殴ったり、泣き上戸になったりする訳ではないが、誰彼かまわず悪態をつく。支店長に対しても「笑ってばっかりおらんと、ちィたァ、シャキッとせぇや」と怒鳴る。
ブンゾーは確かに支店長よりも古くからいるらしく、その人脈はちょっとやそっとでは築けないものだが、こういった性格だから、本社からはまったく評価されないんだという意味のことをヤマネが耳打ちしてくる。
かく言うヤマネも、オヤジギャグでムカデに絡み続けている。向こうの方で一人しんみりと飲む支店長。
度々飲み会が開かれない理由が、何となく分かる。
それでも、ムカデも楽しげに、時折ブンゾーに「うるせぇオヤジ」とか何とか言いながらオシボリを投げつけては、楽しそうにキャッキャキャッキャ笑っている。
仕方なく、ブンゾーの隣を退散して、支店長の横に座る。
「オヤジさん、酔ってますね」
「あぁ、いつもこんな感じよ」
「大変ですね」
「そうでもないよ。慣れりゃあね。他人に迷惑かけるわけじゃないし」
確かに、ブンゾーは店員に対しては、横柄な態度はとらない。営業の性、というやつだろうか。一応、この店もお客さんな訳だし。
遅れて、ようやくクサツさんがやってくる。
スミマセン、と謝ろうとしたクサツさんに、オヤジさんとカエデさんがいきなりオシボリを投げつける。ムカデはどこからオシボリを調達してきているのか、さっきから投げ続けている。クサツさんは何食わぬ笑顔でボクの隣に転がり込む。
こちら、奥から支店長、ボク、クサツさん、向こう側奥から、オヤジさん(ブンゾー)、カエデさん(ムカデ)、ヤマネさん。なるほど、クサツさん、上手いな。
クサツさんはボクが入るまで完全に下っ端扱いだったそうだ。年はカエデさんの方が下だが、カエデさんは営業ではないので、荷物運びや運転手など、メンドクサイ仕事は全部しとったんよ、と前に言われた。
それをボクがするのか、と思うとゾッとしたが、なぜか未だにクサツさんがやっている。
ブンゾーが今度はカエデさん相手に「おまぇいつまで結婚せんと会社に居座るつもりやぁ。おとぉちゃん泣いとるぞ」とか言って絡んでいる。東京ならセクハラと認定されかねない絡みの隣でヤマネさんが「カエデはオレと結婚するんじゃモンねぇ」とか言いながら抱きつこうとしてヒジ打ちを喰らっている。
驚いた顔をしていたのか、支店長がニコニコしながら、「支店じゃあ、普通の光景よ」と言う。
「はぁ、なるほど」と言いながらタコのぶつ切りをつまみ、ビールで流し込む。隣ではクサツさんが必死にコロッケに齧りついている。
「そういえば支店長は、東京にもいらっしゃいましたもんね」
「そ、そ。五年前までね。六年間。楽しかったなぁ」
「楽しかったですか?」
「楽しかったよ。東京は大きい街じゃけぇね」
「まぁ、そうですね」ボクは若干のプライドをくすぐられながら答える。
「オレと支店長は山口なんよ、出身」クサツさんが言う。
「あ、そうなんですか?」
「そうそう。広島でも都会よぉ。山口から出てきた時はビックリしたもん」
「誰か私が愛媛じゃってバカにしたね!」
なぜかムカデの投げつけたオシボリがボクの頬を叩く。
「ははは、山口も愛媛も、属国みたいなもんよ」ブンゾーが言い放つ。
オシボリを拾いながら、「ヤマネさんはどちらなんですか?」と尋ねる。
「オレ?オレは三次」
「あんたぁ庄原じゃろ?」
「三次に最も近い庄原よ」
「庄原って山以外に何があるんね?」
「愛媛が言うなや、ミカンポンカンポンジュース」
「ポンジュース、バカにしんさんなや!」
「まぁまぁみんな、いいじゃあないの」
「うるせぇ宇部」
「おっと、カエデ、宇部をバカにしたの?」
「まぁまぁ」
「うるせぇ江戸っ子」
三つぐらいのオシボリが飛んでくる。
なんだ、みんな、楽しそうじゃないか。そんなことを思いながら、ボクは鯵の南蛮漬けに手を伸ばした。
(この物語はフィクションです)
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