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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語【2】-(4) : 「稲荷町のババァ」
「おう、ちょっとカエデと稲荷町のババァんとこ行って、先月の金もろぉてきてくれや」
「あ、はい。馬場さん?」
「ちがぁわぃ、ババァよ、バ、バ、ァ」
人を馬鹿にしたようなトーンで、将棋の香車の駒に似たブンゾーが言う。どうやったら、それでも憎めない、どこかカワイイ雰囲気を醸しだせるのか、何度見ても分からない。
はぁ、カエデさんかぁ。外はすっかり梅雨空だが、それ以上にカエデさんとの外出は気が思い。
カエデさんは、こっそりオレがつけたムカデというあだ名のまんま、といった性格で、二人で外回りに出かけさせられると、兎にも角にも不機嫌極まりない。
以前一度出かけたときは、途中で置いて帰られた。広島に来て日が浅かったオレは、散々迷って支店に戻ったものだ。
諦めて、気だるそうなムカデの元に向かう。
「カエデさん、オヤジさんが、稲荷町のババァって所に先月のお金を貰ってきて、って」
「は?私?あんた行ったらえぇじゃん」
「いや、ボクも行くんですけどね。場所とか、よく分からないし」
「しょオがないねぇ」
これじゃけぇとか、何とかブツクサ言いながら、ムカデが、ミミズが這った様な地図を描いて、こっちによこす。
「ここよ、ここ、分かるじゃろ?」
立ったままのオレの腹をボールペンで突き刺しながらムカデが凄む。二百メートル先から見たら、サンダルから素足を突き出した美人の先輩にボールペンでつつかれながら上目づかいで迫られている様子にでも見えるのかもしれないが、現実にはボールペンを持っていない方の手でセンベイ袋をまさぐりながら、右の足の親指の爪で左の足の裏を掻いている。
「えぇっと、今回だけでも着いていっていただけるとありがたいのですが・・・」
ムカデは目の端で睨んだまま、無視を決め込み、センベイを齧る。
オレの困った様子に気がついたのか、思い腰をブンゾーが上げて、ゆっくりとやってきた。
「カエデぇ、オマエが行かにゃァ、払ろぉてくれんじゃろ?」
「だって、外は雨よ、雨」
オヤジさんがムカデのセンベイ袋から一枚センベイを取り出して齧る。
諦めた様子のムカデが右手をぬぃっと突き出す。
「ん?」
「タクシー」
「は?」
「タクシーぃ」
「広電があるじゃなぁか」
「雨よ、雨」
「広電も雨漏りはしゃーせんよ」
ムカデの言うことも分からないではない。梅雨時期はもちろん日本全国どこにいたって嫌なものだが、広島の梅雨は特別だ。ジトジトジトジト。しかも、都内に比べて常に外を歩かされるから、ズボンの裾はいつだって湿っている。
車が使えればいいのだが、あいにく本日は支店長が使用中だ。
結局カエデさんはオヤジさんからセンベイ代と称して千円を取り上げ、しぶしぶとサンダルを突っかけて、細い割に重い腰を上げた。
ビルの外に出ると、まさに土砂降りでオレは走って行ってタクシーを止めようと、傘を持っていない右手を上げようとしたが、タクシーが止まった時にはムカデは後ろにはいなかった。
おぃおぃ、十メートルそこらとは言え、あんたのために気を使って雨の中走ったんだぞ?
そんなことお構い無しに、ムカデは広電の停留所に向かって横断歩道の信号が青になるのを待っている。
「あのぉ、タクシーは?」
「はぁ?あんたの安月給で払うん?」
「えっ?いや、さっき、オヤジさんから・・・」
「あれはセンベイ代よ。分かる?バカじゃないんかね、あんたァ」
そう言うと、どうやらボクの安月給に気を使ってくれたらしいムカデは、青になったばかりの横断歩道をズイズイと進み、停留所に向かった。
停留所には既に三人ほど人がいて、買い物袋をぶら下げて、時折線路から目を上げては、雨を憂いていた。
運良く、提灯みたいな箱で、緑色の「駅」の文字が光り、広島駅行きの広電が音を立ててやってくる。
相変わらず機嫌の悪い(様に見える)ムカデが、一つだけ空いた席にどっかりと座り込み、オレは再びその前に立つことになった。
「稲荷町のババァって、どんな人なんですか?」
沈黙に耐えられず、ついつい話しかけてしまう自分が悲しい。
これは都会人のクセなんだと、広島に来て分かった。東京では誰も彼もが、まるでそれが仕事かの様に電車の中で話をしている。
広島でもそうなんだろうけども、会社員同士が電車で移動するという機会が圧倒的に少ないから、それが街で目立たない。事実、車で外回りをしている時は、余計な話はあんまりしなくなる。片方が運転しているから、というそれだけの理由で、時間を持て余さない。
ムカデがジロっと睨む。
「あんた、本人に向かってババァなんて言いんさんなよ」
そりゃそうだ。「何て呼べばいいですか?」
「稲荷町さん、じゃね」
「何でカエデさんなんですか?」
「知らんよ。強情なババァでね。振り込みもせんし、行かんと払わん。私じゃないと金は渡さん」
「はぁ」
「男は覚えられんのと」
「なるほど。確かに」
「ほんまにそう思うんね?」
「いや、何となく、皆、スーツですし」
そう言うとカエデさんは笑った。
初めて見たかもしれない、笑った表情は、年相応の悲哀と、美人ならではの可愛らしさの混同した、何とも言えない表情だった。
だとしたら、ボクは何でついて来る必要があったんだろうか。
電車が稲荷町に着いたことを告げる。
ツカツカと傘で人をよけながらムカデが出口に向かう。
いい加減に百五十円を放りこんで、停留所を信号の方に向かって歩いていく。
この人は、何で働いているんだろう、そんなことを不意に思う。
中々変わってくれない信号を恨めしそうに睨みつけながら、ムカデは器用に片手でタバコに火をつけ、ふぅっ、と煙を吐き出した。
「停留所は禁煙です」という張り紙の真ん前で。
(この物語はフィクションです)
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