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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語【2】-(6) : 「胡町のカメ」
カメに会いに行こうやぁ、と突然ヤマネさんが言い出した。
西日が差し込み始めた午後のことである。そろそろ今日の仕事の片付けに入って、という時間帯だ。
ブンゾーの方をチラリと見る。ブンゾーは不機嫌な顔をしつつも、「一種の季節行事だ」とだけ言って、ボクの手から先ほどの会議の議事録を分捕った。
ヤマネさんは嬉しそうにジャケットを着込んでいる。何でも小さい頃、家のそばに池があってそこではこの季節、カメが甲羅干しに励んでいたらしく、それは豊作の証拠なんだとかどうだとか。なぜ甲羅干しと豊作が関係あるのか分からないが、そう言えば胡町の電停から横断歩道を渡ったところには、誰が手入れしているのか分からない緑地があって、のんびりとカメが泳いでいるのを覚えている。
ヤマネさんが言うカメ、というのもどうやらそのカメのようで、そんな童心に戻ったようなヤマネさんを見るのは初めてだったので、ボクは少しワクワクしながら財布を手に取った。
外に出ると、まさにそれは残暑ムード満載で、アスファルトからジリジリという悲鳴が聞こえてきそうだ。
ヤマネさんは意気揚々とジャケットの裾をはためかせながら横断歩道を渡り、向こうで信号待ちしている広電を、額に汗を溜めて今か今かと待ち構えている。
手にはデジカメが握られていて、十メートルも離れてみれば、変態オヤジにしか見えない。
広島駅行きの扉が開く。八月よりも冷房の効きを抑えているのか、あぁ生き返るわぃという冷気が身体を包むことは無く、かといって湿気が無いので、もわっという熱気が押し寄せてくるわけでもない。普通に暑い車内である。
「あのぉ、ヤマネさん?」
「ん?何?」
「いや、何で、カメなんですか?」
「あぁ、子供のころからね。この季節の甲羅干しはありがたぁいものとして育てられてきたけぇね」
「はぁ」
「カメが好き、とかじゃなくて?」
「好きよ。好きじゃけど、ほれ、桜が咲いたら人ごみの中を花見するじゃろ?桜が好きゆぅんとも、ちょっと違うじゃろ?」
「まぁ、そうですね」
妙に説得力がある。この辺りが寝技のヤマネとブンゾーが言う所以なんだろう。
次の停留所に着いて、再び扉が開く。今度は強烈な西日と共に、外から生ぬるい風が吹き込んでくる。それでも、初秋だと感じるから、不思議だ。
ヤマネさんが扉が閉まりかけたのを確認して、続ける。
「甲羅干しするっちゅうことは、天気がエェって証拠じゃけぇね」
なるほど。
そう言えば、先日見たテレビで、稲穂が頭をたらしたこの季節の風雨は、せっかくできた宝を泥だらけにするようなもんだ、と、どっかの農家のジイィが言っていた。
それで、甲羅干しね。
確かに、甲羅干し、と聞くと、何となく暖かな春の匂いと、豊かな秋の風を連想させなくも無い。
カメにしてみれば、何らかの生物的な理由で、ただ日に当たっているだけなんだろうが、カメそのものにありがたいイメージがあるのも、関係するのかもな。
ゴトゴトと音を立てながら、電車は間隔の短い停留所を刻んでいく。
八丁堀と胡町なんて、ものの百メートルぐらいしか離れていない。胡町って、本当に必要な電停なのか?と思っていたが、いざ広島で働き始めてみると案外使っているから不思議だ。
途中の電停で、学校が終わったばかりの小学生が三人、電車に乗り込んできた。
ICチップの内蔵されたカードを誇らしげに読み取り機に近づける姿が、微笑ましい。
一人だけいる女の子が、「宿題、返ってきた?」と聞く。夏休みの宿題のことだろうか。
男子二人が、声をそろえて「赤ばっかしじゃったよ」と答える。
「えぇのぉ、サキは頭がエェけぇ」
「あんたらがちゃんとやらんけぇでしょうが」
「社会とか、マジやばかったんじゃけぇ、オレ」
そこからは男子二人による『オレの方が悪かった大会』の開催である。審査員足るべき女の子が怪訝な顔をしてこちらを伺う。ジッと見ていたのが気持ち悪かったのだろうか。スマンスマン、と微笑んで、ふとヤマネさんの方を見ると、デジカメで以前のカメの写真を見ながら光悦の表情をしていた。
なるほど、真犯人は、こいつか・・・
胡町で電車を降りると、一層の暑さが身を包む。
この市電の唯一の欠点は、停留所が夏暑く、冬寒い点である。夏はギラギラと輝く太陽とジリジリ鳴るアスファルトに包まれ、冬はゴウゴウと吹き抜ける風に縮こまるハメになる。
もっとも、隣の変態オヤジにとって暑さは何の障害にもならないらしく、信号が青になるや、いそいそとビルに囲まれた池に向かっていく。
広電オタク、というのは聞いたことがあるし、アイドルオタク、温泉オタク、自分の周りにもそれらしいヤツが色々いるが、カメに向かって嬉々として向かっていくスーツ姿のオヤジは図抜けて異様だった。
柵で囲まれた緑地の端にある池に近づくと、ものの見事にカメが横並びして甲羅干しをしていた。
皆同じ方向を向かって、ジッと動かない。
回りこんで見ると、寝てるんだか起きてるんだか分からない顔をして、ぬぼぉっと日に当たっている。
確かに、愛らしく、幸せを感じさせてくれる光景だ。
この池にカメを住ませようと考えた人がそこまで考えていたかどうかは分からないが、ジッとカメと見つめ合っていると一時、ここが街中だ、ということを忘れる。
時折後ろを通るトラックの荷台がガタガタなるのを聞いて、ハッと我に返る。
そしてまた、カメを目を合わせる。
反対側のデパートで買い物を済ませたらしいオバサン三人組が、キャーキャー言いながら携帯電話でカメの写真を撮りに来る。
オレはそれに気圧されて、池の端のほうに場所を移す。そこはビルの陰に隠れて、西日が当たらず、少し離れた位置から、日干しのカメを見つめることになった。
小さな中州のような岩に何匹ものカメしがみついて、西日を奪い合う。動かない無表情なカメたちが、それでいて必死に岩にしがみついているのが伝わってきて、何だか滑稽だ。
「カメは日焼けせんでエェねぇ」と一人のオバサンが言う。
「シミとかできんのんかなぇ」と隣のオバサンが続く。
「日焼けしとるけぇ、こんな色なんじゃないんかね」と向こうのオバサンが突っ込む。
手前のオバサンが「よぉ見ると斑点のようなんがあるねぇ」と返す。
それを聞いて、他の二人がまたキャーキャー笑う。
一匹のカメがゆっくりと左前足を前に突き出した。
「あぁれ、伸びをしたよ、今。ほら、あんたぁ見た?」と言ってオバサンたちがまたはしゃぐ。
向こう側にいる変態は孫でも見るような顔つきでカメを愛でたり、写真を撮ったり。まったく平和だよ、世の中は。
カメは西日を浴びて甲羅干し。
オレはビル影から池を見つめて睨めっこ。
変態は額に汗溜め恵比須顔。
再び広電を降りて会社に戻る頃には、秋らしい風が吹き始めた頃だった。
机の上にはブンゾーからの素敵な殴り書きが転がっている。
『今秋の字が違うんじゃ!』
なるほど、今週ではなく、今秋だったのね、とブンゾーの怒りを受け流す。
半年前、広島に来た頃にイチイチ反応していたキツイ表現も、もう気にならなくなった。今となっては『今秋の字が間違っています』と丁寧に書かれる方が、よっぽど嫌だ。
ヤマネさんは嬉しそうに撮ってきたばかりの写真を支店長に見せている。
それを完全に無視していたカエデさんが、支店長の「オマエ、カメばっかり追っかけよると、禿げるぞ」という一言にお茶を噴出す。それを見て、頭部ミステリーサークル状態の支店長が苦笑いを浮かべる。
オレ達はそのあと、クサツさんが取引先から貰ってきたピオーネをつまみながら、残りの仕事を片付けた。
(この物語はフィクションです)
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広電物語【2】 広島駅~広島港(宇品) 宇品線 「広島駅に降り立って」他
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