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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語【2】-(3) : 「喫茶・マトバ」
カラーン、コローンと音を響かせ扉を開ける。
「いらっしゃーい」とオバちゃんの声がする。
ツッカケを履いた足をズリズリ言わせながら、水とおしぼりを持ってきて、「何にされますか?」と聞く。
オレは笑って、「ホットコーヒーで」と答えた。そして聞かれても無いのに、「今日は結婚式帰りなんですよ」と付け加える。
「あれ、はぁ終わったんね?」
「いや、昨日、東京で」
「はぁはぁ、そりゃあナンギなことじゃったねぇ」
そう、オレは広島に帰った途端、家にも帰らず『喫茶・マトバ』に直行していた。
何故だか知らないが、新幹線に乗っている間、というよりは、昨日の披露宴でどっかのオッサンが祝辞を述べている最中から、無性にここに着たくて仕方が無かった。
決して、ここのコーヒーが飛び切り美味い訳ではない。
古ぼけた『喫茶・マトバ』は、見ようによっちゃあレトロだが、いわば古臭い喫茶店で、レンガ色の壁に開くとカランコロンなる重々しい扉、入ったらすぐにあるマンガ、しかも古本屋より古いマンガ。ツッカケの音。埃を被った扇風機。
オレは他の街に営業に行って広島駅に戻った時や、猿侯橋の問屋に行ったら、喫茶・マトバで一服するのが習慣になっていた。
何となく他に知った店が無かったのと、強いて言えばここのオバちゃんの広島弁が心地よかったからか。
近くにタバコが吸えるチェーン店が無かったから、ってのもあるけど。
会社の後輩の結婚式で、久々に東京に戻ってみて、感じた。
オレはすっかり広島のペースに馴染んでいるし、周りもオレのことを「広島に行った奴」として見る。
「広島弁、喋ってみてよ」とか、「何か美味いもの送ってくれよ」とか。
東京=二十六年、広島二ヶ月。
それでも周りから見たオレの印象は代わり、そして自分自身、多少は変わっただろうし、また変わったと思い込んでいる節もある。
しかし、ハッキリ言うよ。広島弁なんて簡単には話せないよ。
「~じゃけぇ」ってのは、よく東京の人が思い描く広島弁なんだろうし、二次会でも「本場のじゃけぇを言ってみてよ」なんてアホな注文を受けたが、そんなに「じゃけぇ」を聞いたことがない。
しかも、広島に居ると皆が広島弁なので、当たり前だが、どれが広島弁なのかよく分からない。
どちらかと言うと、方言はイントネーションに出る。
例えば、「何にされますか?」は、東京だと、「ナニに(↓)、されます(→)、か(↑)?」だが、オバちゃんのは、「ナンに(↑)、され(→)ま(↑)す(↓)か(↑)?」で、そんなもの二ヶ月やそこらではマスターできない。
なんて熱弁を奮っている時に、オレは感じた。オレは既に「広島に行った奴」というレッテルを好んで貼られ、正当に理解されないことに腹を立ててすらいる。
それはある種の愛着なのだろう、と。
しかし、東京で「広島に行った奴」なオレは、広島では「東京から来た奴」なので厄介だ。
広島に居ると、「東京にはこんなんがあるんじゃろ?」とか、「東京の方じゃったらどぉーよぉなん?」とか言われる。
それはそれで、東京に愛着とアイデンティティを感じるわけで、ウザったくもあるけど、誇らしくもある。
そんなことを思っているうちに、次第に自分がどっちつかずな様な気がしてきて、戻るところといえば喫茶・マトバぐらいしかなかった訳で・・・
シュカっ、とライターを鳴らし、タバコに火をつけて煙を吐き出そうと、口をすぼめたしたところでオバちゃんがホットコーヒーを持ってくる。
「おーきな荷物もっとるし、仕事じゃないんじゃろぅたぁ思ぅたんよね」
なんて言いながら、ズリズリ、カウンターに帰っていく。
同期には地方都市出身の奴らもいて、オレは今までそいつらのお国自慢を「へぇ、いいねぇ」などと言いながらも、どこかプライドの様なものがあったような気がする。それは侮蔑と言ってもいいのかもしれない。
しかし、今は本気で羨ましい。
喋れる方言があって、行きつけだった料理屋があって、懐かしい海があって、会える仲間がいて。
オレにあるのは喫茶・マトバと、既にキッタナイ我が家だけだ。
新幹線で広島駅に着いてホッとして、駅からここまで歩いてワクワクした。ここに入る時にオレの前を横切った広電の不器用にガタゴト鳴る音に、オレは懐かしさすら感じた。たった二日離れただけなのに、だ。
第二の故郷ってのは、こういうものかね。
ホットコーヒーを啜ると相変わらずの苦い味がして、店の前を父子が通り過ぎる。
カープの帽子をかぶった子供が楽しそうにメガホンを叩き、父親がそれをたしなめる。
「迷惑になるじゃろぉが」とか、そんなことでも言っているのだろうか。
窓越しに見える、そんな風景の一つ一つが羨ましく、宙ぶらりんな自分の姿を突きつけてくる。
「今日はカープの試合があるん?」
おぉ、思わず広島弁になってしまった。
オバちゃんは嬉しそうに、「今日は天気もえぇし、マエケンが先発じゃけぇね」と言った。
「球場、近いん?」
すみません、まだ広島弁の敬語が使いこなせないのです。
競馬新聞を眺めていた隣の席のオヤジが、変なことを聞くなぁ、そんなことも知らないのか、という顔をする。しまった、とオレは思ったが、オバちゃんはいつもの笑顔で、「五分も歩きゃァあるよ」と言った。
球場にでも、行ってみるか。
場所もよく分からないし、開始時間も知らないし、一人だし、相手チームも分からないし、マエケンぐらいしか選手も知らないし、スーツだし、馬鹿デカイ引き出物も持ってるけど・・・
コーヒーを飲み干し、席を立って勘定を済ませ、球場への行き方を尋ねると、オバちゃんが言った。
「その大きい荷物、置いていきんさいや。置いといたげるけぇ。スーツも脱いどきゃエェわ。帰りにまた取りに来んさいゃ」
オレは笑顔で頷いた。
(この物語はフィクションです)
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