広島に行く人も広島におる人も

ブログカテゴリ

  • トップページ

    広島の写真集

    広島の街(広島の街マップ)

    広島の風景

  • 広島の郊外

    広島のニュース

    広島の店

    広島の会社

    広島の人

    広島から始めよう

    広島の作り話

    Title

    English site

カテゴリー

  • トップページ
  • 広島から始めよう
  • 広島のチーム
  • 広島のニュース
  • 広島の人
  • 広島の会社
  • 広島の作り話
  • 広島の写真集
  • 広島の店
  • 広島の文化
  • 広島の街
  • 広島の郊外
  • 広島の風景

広島ブログ


  • 広島ブログ

    Linkfree_180x50

Recommended


  • 021019
    ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
    伊藤計劃

広島の風景 : えべっさん (胡子大祭・えびすこう) その2

 

広島の風景 : えべっさん (胡子大祭・えびすこう)で紹介したえべっさん。

新しい画像が届いたので、Upします。

1

こちらは中央通りを八丁堀方面に向かって写した写真です。
.

2

そしてこちらがえびす通り。

いよいよ年末が近づいてきましたね。
時を同じくして、平和大通では広島ドリミネーション 2010が始まりました。
広島の冬はもうすぐそこです。

祭りの詳細はこちらを参照ください↓
http://www.chushinren.jp/eventinfo/ebisu.htm

.

「広島の風景」 Top Page

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■



投稿情報: 21:29 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : えべっさん (胡子大祭・えびすこう)

 

しらかみさんの秋祭り(白神社 秋季例大祭)が終われば、次はえべっさんです。
えべっさんとは、胡子(えびす)神社の秋季大祭のことで、地元では、「えべっさん」とか、「えびすこう」という名で親しまれています。

広島の街Top Page :「広島の街マップ」

八丁堀の交差点から中央通りを平和大通方面に下るとえびす通りのアーケードがあり、それを流川方面に進めば胡子神社があります。
丁度、天満屋があって、三越があって、その三越の入口の奥ですかね。
ちょっと奥まった感じでひっそりとアーケード内に佇んでいます。
.

DSC01298  DSC01461
(左がえびす通り入口(本通り方面)。右はアーケードに紛れる胡子神社)
.

今年(2010年)のえべっさんは11月18日(木)~11月20日(土)だそうですね。
えべっさんの胡子は当然、七福神の恵比寿様に由来していて、商売繁昌の守り神です。 
場所柄この辺りは、八丁堀のデパート群や本通りの商店、流川の飲み屋さんと商売屋さんの多い、DSC01460うってつけの場所。
特に神社付近の商店街は「誓文払い」の大売出しを行い、20日に向けて、一週間ほどセールをやります。
つまり、広島の冬のセールは一ヶ月早く訪れるわけです。

えべっさんのシンボルは熊手ですから、当然、熊手も大いに売られます。
バブル期の大熊手の売れ行きはすごかったですよね。
流川でも本通りでも、どの店が一番大きな熊手を飾るか競ったぐらい。

まぁ、庶民にとっては、とうかさんは広島に夏の訪れを告げる祭り。
そしてこのえべっさんは冬の訪れを告げる祭りです。

子供の頃を思い出しても、えべっさんが来ると、あぁもう年末って感じでしたね。
むしろ大人になってから、ありゃ、まだ大晦日まで一ヶ月以上もあったんじゃ、とビックリしたぐらい。
まぁえべっさんが微笑んだら後は師走ですからね。かけるように過ぎていく。
昔は広島ドリミネーション(平和大通りイルミネーション)とか無かったですからね。
夏はとうかさん -> 宮島水中花火大会 と続いたけど、冬は年末がきて終わりだった。

何か寒かった記憶がすごいあるけど、この胡子神社の境内辺りだけは白熱球のすごい灯りと賑わいでね。
福袋とか買ってもらってたかなぁ。
何か屋台が出て、という感じのとうかさんやしらかみさんとはちょっと違った雰囲気だった。
.

DSC01459  DSC01299
(平日の午後のえびす通り。この細いアーケードが熊手と人で埋まります)
.

何だかんだで、実は十年ぐらいえべっさんには行ってないですね。
すごく懐かしい。
とうかさんもそうですけど、フラワーフェスティバルなんかに比べて、特にえべっさんは住んでる人のお祭りって感じがしますよね。
まぁ、特に私は地元だったからそう思うのかも知れないですが、家族的な温かさのあるお祭りだと思います。

えべっさんまでは、 広島駅からだと、バスもしくは広電で胡町まで。10分ほどですかね。
紙屋町からなら歩いても本通り歩いてくれば15分ほどでたどり着きます。

祭りの詳細はこちらを参照ください↓
http://www.chushinren.jp/eventinfo/ebisu.htm

今年は一つ、小さな熊手でもいかがですか?
.

「広島の風景」 Top Page

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■



投稿情報: 13:29 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : しらかみさんの秋祭り(白神社 秋季例大祭)

.

「広島の街 : 白神社(「しらかみさん」)」でも紹介した、広島市の中心部、中区中町にある神社、白神社(通称:しらかみさん)の秋祭りです。

しらかみさんは平和大通と国道54号線が交わる角にあり、その秋季例大祭はしらかみさんの秋祭り、あるいは単に「しらかみさん」と言われ、袋町・中町・小町・大手町といった近隣の住民だけでなく、この辺りに働きに来ている人たちにも愛される、こじんまりとしたお祭りです。

広島の街Top Page :「広島の街マップ」

しらかみさんはずっと神楽が有名ですよね。
安芸太田町(旧加計町)の坂原神楽団によるもので、もう長いこと続いています。

201010292034000

.
神楽って、小さい頃は何だか恐かったですよ。意味も良く分からないですしね。
今にして思うと素敵な秋の風景なんですよね。しかもそれが田んぼなんて無い街の真ん中で奉納され続けている所がまたいいじゃないですか。

こうして広島の秋も、いよいよ深まっていき、これからは紅葉と松茸の季節が訪れ、次なる祭りを迎えることになります。
そのお祭りは、また次回の「広島の風景」で。

.

「広島の風景」 Top Page

.
■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■



投稿情報: 12:29 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 安芸の子富士

.

本川や天満川、なぜか広島の中心部を流れる川に架かる橋を渡る時、必ず見える山があります。
広島湾に浮かぶ、綺麗な形をした小さな小さな山。
それが安芸(の)子富士、似島に頂く、広島では有名な山です。

広島の街Top Page :「広島の街マップ」

広島の山と言えば、比治山に黄金山、己斐の山とありますが、安芸の子富士はある意味、別格で、その美しい山の形状と、瀬戸内海に浮かぶ、ほのぼのとした姿から、何故か見かけるとホッとする、何だか大吉でも出たような気分にさせられる山です。

DSC00617  DSC01431
(太田川放水路越しに見える安芸の子富士(写真左端)と、本川越しに見える子富士(写真中央))

.

似島は宇品(広島港)からだと、船で十五分ほどの所にあり、元宇品公園からが最も近くに見えます。
もちろん、宇品港からも見えますし、観音マリーナホップからも綺麗に見えます。

広島駅前(南口)から駅前通りをずっと下っていくと、平和大通を過ぎた辺りに富士見町と言うのがありますが、言うまでもなく、この地名は「安芸の子富士が最も美しく見えた場所」から来ているものです。
今では埋め立てが進み、御幸橋にかけて高いビルも出来ましたから、中々そのかわいらしい姿を望むことはできなくなりましたが、美しい地名だけは残っています。

晴れた日であれば、坂や草津はもちろん、遠く宮島からもその姿を望むことが出来、あっ、こんな場所からも見えたんだ、ということも多いです。
ちょうど、東京の人が「あっ、こんな所からも東京タワーが見えるんだ!ラッキー」と思う感覚に近いかも知れません。唯一違うのは、夜には見えなくなってしまう、という点ですけどね。

DSC00765  DSC00755

IMG_4248  DSC01321
(左上から順に、宇品、観音マリーナ、黄金山、坂から望む安芸の子富士)

.

どうでしょう。今週末は地図とにらめっこしながら、何処かに安芸の子富士を探しに行ってみませんか?
ここに紹介したのとは別の、もっと素敵な安芸の子富士の風景が見つかったら、是非教えてください。

.

「広島の風景」 Top Page

.
■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■



投稿情報: 19:41 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 広島みなと夢花火大会

昨日(7月24日)は宇品の花火大会でしたね。

夏の夜空へ大輪1万発 広島(中国新聞)

元宇品あたりで行われる花火大会で、「約1万発の花火に、約42万人(主催者発表)が見入った」そうです。
正式には「広島みなと夢花火大会」という名前らしい。

201007242045001

昔は、太田川の花火大会と宇品の花火大会ってのがあって、前者は三滝や三篠あたりですかね。
原爆の日が過ぎて数日たったぐらい。横川の裏手のあたりで太田川放水路の河原を使って行われてました。
手元の資料だと、一万五千発ぐらい上がってたらしい。
それぐらい盛大な花火大会でした。

ただ、残念ながら、予算の都合なんだか何なんだか、2003年に宇品の花火大会と統合されちゃった。
宇品のほうは、むしろ少しこじんまりしてて、それはそれでよかった。
宇品(広島港)でも書きましたけど、昔の宇品はもっとローカルな雰囲気でね。
フラフラと瀬戸の磯辺に花が咲く、って感じで。
その頃は我が家のベランダからでも見えたもんです。
統合された頃にマンションができて見えなくなっちゃった。

今は立派な花火大会になりましたね。
どこの地方都市でもそうでしょうが、
宮島水中花火大会
のような立派な花火大会から、毎年存続が危ぶまれる、
江田島花火大会
のような地元民の祭りまである。

この時期の広島はいいですね。
とうかさんを終えて、ひと段落して、暑い夏の盛りに向けて、色々と街の風景が変わっていく。

花火大会だけでも、まだまだこんなにあります。
広島/花火大会2010-じゃらんnet

是非、皆さんも楽しい夏を。

 

広島の街Top Page :「広島の街マップ」


■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 15:54 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 七つの川⑦ 「消えた川」

広島の歌によく出てくるのが、「七つの川」という言葉です。
甲子園で広島からの出場校の校歌なんかを聞いていても、しばしば耳にすることがあるかと思います。
これは三角州にできた街(デルタシティー)である広島の特徴を現す言葉なんですが、実際に「七つの川」を全て答えられる人は中々いないでしょうし、ましてそれを地図に書き記すことができる人は広島におる人でも皆無でしょう。

まず、七つの川とは何か、と言いますと、西から順に、
太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿侯川、ということになるでしょうか。
あれ?六つしか無いぞ、と思う方もいらっしゃるでしょうが、実は太田川放水路は山手川という太田川の支流を戦後拡張し、半人工的に作られた川です。
その際、山手川の横を走っていた福島川という川を埋め立てて、更地にしました。それが現在の福島町あたりになるかな。
ですので、七つの川は今で言うなれば、
太田川放水路(山手川・福島川)・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川
ということになります。

聞けば、あぁそうか、という感じの方もいらっしゃるでしょう。
比治山か己斐の山にでも登れば、その多くは一望することができます。
広島は、美しいデルタシティーです。

ここでは、西から順に、山手川・福島川は一つとして、代わりに上記以外の川を加えて、全七回で、広島の川特集をしたいと思います。





◎デルタシティー・広島~消えた川~

これまでに取り上げた六つの川以外にも、広島にはいくつもの小さな川が存在していたと言われています。
現在の太田川放水路になった山手川、それと共に消滅した福島川をはじめ、流川もかつては小川が流れていたそうですし、舟入辺りは河口がハッキリせず、いくつも分流して瀬戸内海に注ぎ込んでいたと言われる。現在の黄金山通り付近、つまり、県病院の裏手当たりにも、かつて川が流れていた面影が残ってます。天神川なんてそのまんまですしね。

デルタシティー広島。
特に埋め立てが進む江戸時代後期までは、街全体が水と共にあった、川を中心にできた美しい街であったろうことは想像に難くないですよね。
実際、広島には水にまつわる地名がたくさん残ってます。
本川、横川、堀川、流川なんて川がついてる地名はもちろん、舟入、宇品、江波、向洋、小網町なんて海にまつわるもの、白島、吉島、出島、中島町。八丁堀や薬研掘なんてのもそうですよね。土橋、京橋、鷹の橋。とまぁ挙げていけばキリがない。
広島城のお堀も含めて、戦後まで広島におる人々の生活と水は切っても切り離せなかった。
朝は天満川の水で顔を洗い、昼間は川を幾つも越えて仕事に精を出した。夕暮れは元安川の川辺で散歩し、舟入で行商から魚を買った。夜になったら男は薬研掘か京橋川あたりに行って酒を飲み、猿侯川を超えてやってきた男共と杯を酌み交わす。
冬は身を縮めて橋を渡り、春が来れば花見をする。夏になれば川で泳ぎ、海辺で花火を見て、秋になったら弁当を持って三滝にでも行ったかもしれない。
そんな空想、夢物語、と思っちゃいけません。
戦前や戦後すぐの写真を見れば、瀬戸の夕凪の中、川辺で涼を取る人々、元安川に飛び込む子供たち、京橋川で花見をする人々、そんな風景がいっぱい残ってますから。
実際、私が小さい頃までは、本通り辺りまででも魚を手押し車の荷台にいっぱい並べたおばあちゃんが行商に来てたし、天満川の河原で足を浸した記憶もある。
車も通れないボロボロの観音橋をチリンチリンと自転車をこいで市民球場に向かうジジィ。反対側に向かって、鷹の橋商店街で買った魚やら野菜やらを買い物袋に詰め込んで一生懸命自転車をこぐババァ。
川沿いには季節感があって、一日の時間の流を感じさせてくれる風景があった。

今の街にケチをつけるわけじゃないんです。
治水がされて安心して住める街になったし、新しくて立派な橋のおかげで交通渋滞も減った。
川沿いには桜が植えられて、広々とした緑地帯で花見が楽しめるようになった。
川面に映る風景は変わっていってますが、夕暮れの赤紫の空は変わらないし、自転車で橋をいくつも越えて行くのは相変わらず大変。
ただ、消えたのは福島川や流川だけじゃないんじゃないか、とも思うわけです。
今では天満川も京橋川も景色が変わらない。川辺の風景もあまり違わない。
川は確かに流れていますが、本川なら本川の、猿侯川なら猿侯川の風景が、どこかに行ってしまった。
そんな風に感じる時もあるわけです。

川辺が整備されてかえって川辺を歩く人が減ってしまった、というのはどこの都市部でもそうで、東京や京都なんかでも、川辺に人を戻そうと、水上バスを走らせたり、川辺にカフェを作ったり。川の綺麗さ、汚さとはまたちょっと違うんですよね。川が、ちょっと離れてしまった。
このご時勢ですから遊泳禁止は当然でしょうけれど、代わりに川に触れられる場所があってもいい。ちゃんと整備してさ。

先日、新潟を訪れた時のことです。
新潟市内には信濃川って雄大な、それはそれは大きな川が流れていて、街と街の間を萬代橋(万代橋)というこれまた立派な橋が架かっているんですけど、その袂のベンチに座っていたら、向こう側から学生さんが歩いてくる。携帯電話で話しながら。
驚いたことにその女子学生は「あ、今?萬代橋渡ってるところ」って話してた。
羨ましかったですねぇ。
広島にもいますかね?
あ、今京橋渡ってるところ、とか、相生橋超えてるところ、とか、ようやく鶴見橋、とか言ってくれる学生さん。
いるといいなぁ。
もちろん川や橋の数にもよるんでしょうけれども、生活の近くに川や橋があるんだな、ってのをすごく感じました。

そういえば広島はこれだけたくさんの川が市内を流れているにもかかわらず、川にまつわる祭りや、イベントというのがすごく少ないですよね。
フラワーフェスティバルなら元安川、住吉祭なら本川、という具合に、人が集まるには集まるんでしょうが、川に端を発したイベントではない。
なんかやったらどうですかね?
デルタ祭りでも、リバーフェスでもなんでもいい。
春は元安川沿いに自由にカフェを作っていい、とか。
月に一回、京橋川沿いに大道芸人とストリートミュージシャンを集める、とか。
夏になったら猿侯川沿いにビアガーデン作って、パブリックビューでカープの試合を毎日観れる、とか。
冬になったらお堀端で、市民大運動会でもする、とか。
もちろん、居住区でない場所を選ぶってなると大変なんでしょうし、警備や清掃など考えないといけないんでしょうけど、冬場の平和大通の広島ドリミネーションだってそうでしょう?
結構人が集まってきてますもんね、ドリミネーションも。

せっかくこれだけ川があって、これを使わない手は無い。
水辺の豊な市民生活は、マンションや水上バスだけでは作られないですよ。
「今週末はどうする?」
「うーん、今週は京橋川にでも行くか」
「お天気、いいといいね」
そうなって初めて、消えた広島の川が戻ってくるような気がします。


 

お堀端から眺める紙屋町

DSC00596

かつては水辺だったといわれる流川薬研掘

DSC00527

宇品から見た広島市内の風景

プリンスホテルより


 

  

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 15:26 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 七つの川⑥ 「猿侯川」

広島の歌によく出てくるのが、「七つの川」という言葉です。
甲子園で広島からの出場校の校歌なんかを聞いていても、しばしば耳にすることがあるかと思います。
これは三角州にできた街(デルタシティー)である広島の特徴を現す言葉なんですが、実際に「七つの川」を全て答えられる人は中々いないでしょうし、ましてそれを地図に書き記すことができる人は広島におる人でも皆無でしょう。

まず、七つの川とは何か、と言いますと、西から順に、
太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿侯川、ということになるでしょうか。
あれ?六つしか無いぞ、と思う方もいらっしゃるでしょうが、実は太田川放水路は山手川という太田川の支流を戦後拡張し、半人工的に作られた川です。
その際、山手川の横を走っていた福島川という川を埋め立てて、更地にしました。それが現在の福島町あたりになるかな。
ですので、七つの川は今で言うなれば、
太田川放水路(山手川・福島川)・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川
ということになります。

聞けば、あぁそうか、という感じの方もいらっしゃるでしょう。
比治山か己斐の山にでも登れば、その多くは一望することができます。
広島は、美しいデルタシティーです。

ここでは、西から順に、山手川・福島川は一つとして、代わりに上記以外の川を加えて、全七回で、広島の川特集をしたいと思います。





◎ただ今、二度目の復興中~猿侯川~

いよいよ七つの川も七つ目ですね。
広島駅西部からぐるっと黄金山を取り囲むように仁保まで流れ出るのが、猿侯川になります。
もっとも、太田川(本川)が牛田南で分流する先が京橋川、と前回書きましたが、牛田南から広島駅までは猿侯川とすることも多いようです。
ここでは便宜上、松原町から流れ出た地点を始まりとします。

猿侯川は広島の七つの川の中でも最も東部を流れていて、他の六つ(現在は五つ)の川とは大きく流れが異なるのですが、非常に重要な点が二点。
一つは広島駅南口傍を流れている、という点。
そしてもう一つは、向洋にあるマツダ工場がこの猿侯川に沿って建てられている、という点です。
この二点が、事実上、猿侯川の特徴を全て作り出している、といっても過言ではありません。

ご存知の通り、先の太平洋戦争と原爆投下によって、広島の街はほぼ壊滅状態になりました。
それに対して、猿侯川の流域は比較的、被害が抑えられていた。
一つは猿侯川自身の存在、もう一つは、比治山や黄金山といった山が途中にあったことによります。
何れにせよ、戦後の復興は爆心地に近かった八丁堀や紙屋町ではなく、広島駅前から始まる。
今でも残る猿侯橋から駅側に渡った辺り、つまり猿猴橋町、荒神町、そして松原町、こういった場所に闇市が立ち、対岸の的場町と併せて、急速に人と金が集まってきます。

一方で広島には戦前から東洋工業株式会社という会社があった。もちろん、今のマツダです。
マツダは戦後、本格的にこの猿侯川の河口付近、つまり向洋のあたりに工場を集約していきます。
それに伴い、間に挟まれた荒神町から向洋あたりは工場、倉庫、住宅地になっていく。
途中には、現在のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島、かつての国鉄貨物ヤードもあったりして、行政的に、というよりは、自然発生的に人が集まり、端的に言うと、金と力がモノを言う世界が作られていった。
つい一昔前までは、この猿侯川流域というのは市内に住む人々にとっても、近寄りがたい側面があったことは間違いないと思います。
別に、何って事件が起こるわけではないんですよ。ただ、市内とは違う、独特の空気が流れる街だったのは、確かでしょう。
良い悪いは別にして、1960年代まで、戦後二十年ぐらいの広島を牽引したのは、間違いなくこの猿侯川流域の独特の力でした。
次第に時代は紙屋町、流川というラインへ、そして本通り、八丁堀、並木通りというラインへと中心部を移していきます。
それに伴い、この猿侯川流域は、古びた市場と、パチンコ屋と、薄暗い倉庫と、幅の細い橋と、マツダの工場だけが残った。

しかし、何度も触れてますように、広島駅南口が再開発され、比治山トンネルができたあたりから時代がまた変わってきた。
段原が整備され、天神にソレイユができ、広島駅北口にマンションが隣接し、そしてある人たちにとっては悲願とも言える、ヤード跡のマツダスタジアムができた。
不思議なことに、広島の街が再び袋小路に入りかけ、中心部が衰退してきたのに併せるように、再びこの猿侯川周辺が新しい息吹を吹き込まれている。
ただ、大きく違うのは、戦後の復興がある程度自然発生的、あるいは偶発的に起こったのに対して、今回の再開発は完全に行政主導で行われている、という点でしょう。
猿侯川に沿うように作られている広島高速なんかは、その典型です。

今のところ、ある程度の成果を、この行政主導の再開発はもたらすことになりそうです。
ただ、本格的に広島高速が完成し、段原・天神・大洲の再開発が終わった時、猿侯橋はどの様な役割を担うことになるのでしょうか。
猿侯橋の脇には、古くなった、かつての猿侯橋があります。
その橋だけではなく、猿侯川には多くの名前も無い小さな橋が架かっています。
その多くは、大洲と東雲を結ぶもの。
猿侯川は時に市内へ出る人々の障害になりつつ、時に市内での出来事から流域の人々を守ってきました。
猿侯川の脇を通る車は、どこに向かっていくのでしょう。
かつて、自然発生的に人が集まってきた猿侯川流域の賑わいを感じることは残念ながら現在は難しいです。

最後に、猿侯川を始まりから簡単になぞると、まずは駅前の風景。駅前大橋、猿侯橋と過ぎて、荒神と的場町を結ぶ広電の線路下を潜ります。
そこから意外に車どおりの多い大正橋を超えて、川はマツダスタジアム前の平和橋へ。
この辺りから川べりの風景はマンションが増えてきます。
そこから大洲、東雲あたりまで一キロほどは住宅地。住宅地の外側には倉庫や小さな工場。
そして西側には国道二号線が、東側にはマツダ本社工場が見えてきます。
国道二号線のさらに西側は黄金山をぐるっと取り囲むように住宅地が。
海田大橋が見えてきたら猿侯川も河口間近。マツダ宇品工場の脇を流れて、広島湾です。
全体としては大きく三色。駅前、住宅地・小工場・倉庫、マツダ。
都市部の川、というよりは、周囲は比較的大きな川に多い風景だと思います。
海田大橋に続く、広島大橋北詰あたりから眺める夕暮れの風景は、中々迫力がありますよ。

 

広島駅南口駅前大橋

DSC00541 

広島駅傍の市場、かつての闇市跡

DSC00640

的場町の電停

2010020517120001 

黄金山から見た、マツダ宇品工場

IMG_4248


 

 

  

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 22:46 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 七つの川⑤ 「京橋川」

広島の歌によく出てくるのが、「七つの川」という言葉です。
甲子園で広島からの出場校の校歌なんかを聞いていても、しばしば耳にすることがあるかと思います。
これは三角州にできた街(デルタシティー)である広島の特徴を現す言葉なんですが、実際に「七つの川」を全て答えられる人は中々いないでしょうし、ましてそれを地図に書き記すことができる人は広島におる人でも皆無でしょう。

まず、七つの川とは何か、と言いますと、西から順に、
太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿侯川、ということになるでしょうか。
あれ?六つしか無いぞ、と思う方もいらっしゃるでしょうが、実は太田川放水路は山手川という太田川の支流を戦後拡張し、半人工的に作られた川です。
その際、山手川の横を走っていた福島川という川を埋め立てて、更地にしました。それが現在の福島町あたりになるかな。
ですので、七つの川は今で言うなれば、
太田川放水路(山手川・福島川)・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川
ということになります。

聞けば、あぁそうか、という感じの方もいらっしゃるでしょう。
比治山か己斐の山にでも登れば、その多くは一望することができます。
広島は、美しいデルタシティーです。

ここでは、西から順に、山手川・福島川は一つとして、代わりに上記以外の川を加えて、全七回で、広島の川特集をしたいと思います。





◎市街地を包み込む広島の柱~京橋川~

放水路と分かれた太田川(本川)が最初に分流する先が京橋川です。
京橋川は牛田南からひょいと東側に流れ出し、白島、幟町を包み込み、比治山下を抜けて、御幸橋を潜り抜けて出島脇から広島湾に流れ込みます。
広島駅、広島港(宇品)を結ぶライン、つまり広電の皆実線はほぼこの京橋川に沿う形で走っています。
広島の市街地はこの京橋川に包み込まれるように発展してきました。
西側のラインをどの川に求めるかは難しいところですが、東側のラインは間違いなく京橋川だった。
近年になってようやく京橋川を越えて、そして比治山を越えて、広島駅北側、そして段原など、黄金山辺りに向かって東側に広がっていったわけですが、未だに京橋川の西側と東側では景色が変わります。

流れ出した京橋川は、まずは両岸に古くからの住宅地を抱えます。
牛田、白島辺りは、最初の「郊外」だったと言えるかもしれません。
川の西岸には小さな路地が並び、多くの小さな一軒家が軒を並べます。
川の東側に行くと、神社や寺が立ち並ぶ間に、門構えのしっかりした大きな家が並んでたりする。
やがて京橋川は、順番に山陽本線、山陽新幹線、そして常盤橋を潜ります。
そうすると西岸には縮景園が、東側には広島駅前(南口)の風景が現れてくる。
西側はそのあと銀山町あたりまで、つまり広電の通る稲荷橋辺りまで、平和記念聖堂があったり、比較的高級なマンションが並んでいたり、といった風景。
一方、東側は京橋から稲荷町にかけて、神社、寺、駐車場、小型のオフィスビルなんかが並ぶ。
川の名前にもなっている京橋はその間にある橋です。
コンクリート製の年季の入ったこの橋は、道幅こそ狭いものの、駅前から市内に出る最も重要な庶民の足場でした。
最近では稲荷橋を通って電車もバスで移動する人が殆どでしょうが、駅前から歩いて八丁堀方面に出ようと思ったら、京橋が一番便利。

実は稲荷橋の南側にも歩行者専用の細い橋が架かっています。
こちらはどちらかと言うと、歓楽街、流川に向かう橋、という雰囲気。
東側にはマッチ箱のようなオフィスビルが、西側には流川外れの料亭なんかが点在しています。
当然、料亭に「食べに」行くような人はこの橋を歩いて渡る、なんてことはないでしょうから、流川に生業を求める人々の通勤道、ということになるのかもしれない。
西側渡ってすぐにある鰻屋は広島でも有名な鰻屋で、そのイメージも強いです。

もう少し歩いていくとのっぺりとした駅前通りの東広島橋があって、そこから平和大通りの鶴見橋までは、西側にはマンションが立ち並びます。
一方東側はラブホテルが並んだ後で、広電皆実線の音が聞こえてきて、比治山下に至ります。

そこからしばらくは西岸沿いにマンションや住宅が並び、東側には倉庫、自動車などの大型販売所、公園、オフィスビル、そんな風景が続く。
不思議なのは流川を除いては、市内中心部に近い西岸の方が住宅地なんですよね。
特に一軒屋や古いマンションは西岸沿いに多い。
東岸には広島駅と広島港をつなぐ比治山通り・宇品通りがあることが大きいのかも知れません。
この電車通りを越えれば西岸沿いも住宅地になってきますから。
そんな東側のハイライトは旧専売公社後跡でしょう。所謂日本たばこ産業、JTの敷地だったところです。
今はJTのビルの他、猫田記念体育館、そして地元スーパーを中心とした大型ショッピングモール、イズミゆめタウン広島になっています。
その辺りが丁度皆実町六丁目。つまり御幸橋です。
御幸橋はかつて明治天皇が来られたことでついた名前でその昔は海岸だった。
江戸時代辺りは遠浅の海岸の先ってことになりますかね。
ここから先は出島と呼ばれるわけですから。
明治天皇が来られたのは日露戦争との関係です。
この時、大本営が広島に置かれ、臨時国会が広島城で開かれています。
一時的に帝都になった広島で海軍をご覧になった場所が御幸橋あたりになります。

御幸橋を超えると西岸には有名私立高校である修道高校が、東岸には国立の広島大学付属高校という二大高校(中学)があります。
しばらく行くと元安川とつながり、最後に本川と合流する地点が、同時に広島湾、すなわち瀬戸内海の始まり、ということになります。
西岸はありませんが、東岸の風景は如何にも出島、という感じ。
出島・元宇品は、数年前まではボート屋、釣具屋、倉庫、空き地、そんな風景でしたが、新しく千田町と繋がる橋ができて、東岸は広島港に至るまでマンションやホームセンターが立ち並ぶようになりました。

京橋川を北から南にずっと眺めると、広島を支える柱なんだ、ということがよく分かります。
元安川や本川は確かに重要な川ですが、どちらかと言うと机や食器棚に近い。
それに対して京橋川は広島市街地という家を外から包み込む柱、という印象です。
この柱に対して比治山という庭だったり、流川という土間だったり、広島駅という玄関だったりがある。
白島・牛田はさしずめ二階。縮景園や幟町の風景は中庭、そして八丁堀は台所、御幸橋は応接間で、その先には広大付属、修道という兄弟の勉強部屋があって、皆実町は居間ですかね。
そんな広島の風景を支えているのは、紛れも無く京橋川という柱。
柱無くしては広島市市街地は安定せず、発展も無かったでしょう。
柱には広島の成長記録、京橋や比治山橋といった古く、美しい橋による成長の跡が刻まれています。

今広島は、出島という軒下の改修を終え、庭先の段原、玄関先の広島駅東側の改修工事に手を付け始めたところ。
改めて、京橋川という柱が、その重要性を増してくることでしょう。

 

広島駅南側で猿侯川と分流する京橋川

DSC00538 

川の名前にもなっている京橋川の風景

DSC00539

DSC00537

 

鶴見橋から見る夕暮れの京橋川

2010020516460000
 

 

  

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 16:49 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 七つの川④ 「元安川」

広島の歌によく出てくるのが、「七つの川」という言葉です。
甲子園で広島からの出場校の校歌なんかを聞いていても、しばしば耳にすることがあるかと思います。
これは三角州にできた街(デルタシティー)である広島の特徴を現す言葉なんですが、実際に「七つの川」を全て答えられる人は中々いないでしょうし、ましてそれを地図に書き記すことができる人は広島におる人でも皆無でしょう。

まず、七つの川とは何か、と言いますと、西から順に、
太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿侯川、ということになるでしょうか。
あれ?六つしか無いぞ、と思う方もいらっしゃるでしょうが、実は太田川放水路は山手川という太田川の支流を戦後拡張し、半人工的に作られた川です。
その際、山手川の横を走っていた福島川という川を埋め立てて、更地にしました。それが現在の福島町あたりになるかな。
ですので、七つの川は今で言うなれば、
太田川放水路(山手川・福島川)・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川
ということになります。

聞けば、あぁそうか、という感じの方もいらっしゃるでしょう。
比治山か己斐の山にでも登れば、その多くは一望することができます。
広島は、美しいデルタシティーです。

ここでは、西から順に、山手川・福島川は一つとして、代わりに上記以外の川を加えて、全七回で、広島の川特集をしたいと思います。





◎最短の川、街の川~元安川~

元安川は平和公園の北端、丁度原爆ドームの直横のあたりで本川から分流して始まり、約四キロほど流れて、今度は京橋川に流れ込み、その役割を終えます。
いわば、川から川への橋渡しをする短い川で、その間には七本の橋が架かっています。
短いながらも、最も市内中心を流れる川で、また平和公園の脇を流れていることから、七つの川の中でも比較的露出の多い川になります。

たまには順番に、始まりからゆっくりと眺めていくと、広電が上を通るT字型の相生橋を超えたところで本川と別れ、そこから一キロほどは途中、元安橋を挟み、平和公園を西岸に見ながらゆったりと川は流れ出します。
東岸には原爆ドームと旧広島市民球場が並び、紙屋町に向けて行き交う広電のゴトゴトと響く音と並んで、賑やかな風景が続きます。特に市民球場でカープの試合をやっていることは賑やかでしたね。本当に人が多かった。そごうデパートやデオデオ電気店での買い物に疲れた人々が来て、ゆっくり語り合ってたり、球場に行く前に待ち合わせている人がいたり、近隣の大手町から仕事を終えて出てきたサラリーマンがタバコを吸っていたり、夕方は本当に賑やかだった。
一方西岸は平和公園の静けさがある。

実は原爆ドームは平和公園とは元安川で物理的に分断されていて、灯篭流しなど、多くの原爆の日に関するイベントが元安川を中心に行われます。
東岸の土手も平和大通まではしばらく同様に整備されていて、春は多くの花見客が両岸に訪れ、夏になるとストリートミュージシャンの歌声が其処彼処から聞こえてきたり、ゆっくりと散歩をするカップルや、ガヤガヤと賑わう高校生など、特に元安橋のたもとと、東岸の方は今でも多くの人が訪れる場所になります。
かつてのような喧騒と言うよりは、球場の場所が変わって、たびたび触れているように全体的に喧騒が東側に移って、もしかするとこの辺りは帰って文化的な様相が強まったかもしれません。ゆったりしたムードと言ったらいいのか、オシャレな店も増えました。

元安橋を超えてしばらくそういった風景が続き、次に現れるのが平和大通の平和大橋です。イサムノグチの手によるこの橋は、広島で旧市民球場と並んで最も有名な戦後建築物の一つかもしれません。この平和大橋は実は車道の道幅が狭くて、歩道も左右それぞれ一メートル程しかなくて、今となっては使いづらい橋かも知れませんが、それはそれで象徴建築物ですからね。両側についた丸っこくせり上がったオブジェが広島の夏空に映えます。

平和大橋を超えるとかき舟なんかが並んでいて、次は万代橋、それから何て名前か分かりませんが、国道二号線になります。
平和大通を越えて、この辺りは大手町でも小さなオフィスや商店なんかが増えてきます。大手町は紙屋町-平和大通がビジネス街、平和大通-二号線が中小企業街、二号線以南が庶民街という感じですかね。
平和大通からだと万代橋までは中国電力のお膝元。中電病院なんかが川岸にあります。
万代橋は名前ほど立派な橋ではないですが、市役所の目の前から伸びていて厚生年金会館なんかに続いていく、比較的利用者の多い橋です。
この辺りの川岸土手はずっと小さな遊歩道のようになってますね。歩いていてそんなに楽しい景色ではないかもしれませんが。

二号線を超えて明治橋までは古い商店なんかが並んでいて、特に鷹の橋商店街の先に位置する明治橋辺りはレトロな雰囲気を残してくれています。
この明治橋を西に行くと、住吉橋、そして今は無くなった観音橋になる。その辺りの風景は、猿侯橋付近や横川なんかと同じように、かつての広島の雰囲気が感じられる狭い道路が続きます。

さて、元安川は鷹の橋を越えると、しばらく似たような庶民街を南大橋まで続かせます。日赤病院を横手に見ながら、南大橋で駅前通りとぶつかる。この通りは広島駅前(南口)からずっと伸びている通りです。南大橋の西岸は公園があったり神社があったり、数百メートル進めば吉島刑務所です。
一方東岸は千田公園を脇に抱え、新しい道路とマンションの並ぶエリアです。
開発が最初に進んだのが三十年ほど前。千田公園が整備された頃です。
それから十年ほど前に、今度は宇品(広島港)まで続いていく道路が整備され、土手からマンションまでの住居の殆どが立ち退きました。
なので、景色としては如何にも河口近くのだだっ広い、のっぺりとした景色になります。
空がゆっくり見えて、私は好きですが。

最後に南千田橋を潜り、元安川は役割を終えます。
そう、最後の最後は、西岸に吉島中学校、東岸に修道高校(中学)がありますね。
修道高校の卒業生はすごいですよね。吉川晃司や、フジテレビアナウンサーの福井謙二、山中秀樹(元)なんかの著名人もいますが、広島の有名企業の社長陣は多くが修道高校出身。また中退っていうのも、画家の平山郁夫、政治家の亀井静香、それから前広島県知事の藤田雄山もそうです。

始まりから終わりまで元安川を見てみると、やはり地方都市の中心を流れる川、という印象ですね。
景色も一キロごとに四つに分かれます。それぞれに良さがあって、またそれぞれが、そこに川が流れているからこその発展を遂げました。
ただ、残念ながら、平和公園付近を除いては、川と街の関係は希薄になりつつありますし、川沿いを歩く人もあまり見かけない。
戦前には多くの市民が元安川で泳いだり、足をつけたりして、夏の涼を取っていたそうです。
元安橋付近で見られるような、市民に近い川にもう一度なっていって欲しいですね。

 

元安川を挟んで見る原爆ドーム

Hiroshima_Park2 

 

平和大橋から眺めた元安川

DSC00578

MotoyasuRiver2

 

平和大橋の欄干

DSC00577

平和大橋の傍のかき舟(下の写真の奥は中電病院)

DSC00631 

DSC00630
 

 

  

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 22:11 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 七つの川③ 「本川」

広島の歌によく出てくるのが、「七つの川」という言葉です。
甲子園で広島からの出場校の校歌なんかを聞いていても、しばしば耳にすることがあるかと思います。
これは三角州にできた街(デルタシティー)である広島の特徴を現す言葉なんですが、実際に「七つの川」を全て答えられる人は中々いないでしょうし、ましてそれを地図に書き記すことができる人は広島におる人でも皆無でしょう。

まず、七つの川とは何か、と言いますと、西から順に、
太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿侯川、ということになるでしょうか。
あれ?六つしか無いぞ、と思う方もいらっしゃるでしょうが、実は太田川放水路は山手川という太田川の支流を戦後拡張し、半人工的に作られた川です。
その際、山手川の横を走っていた福島川という川を埋め立てて、更地にしました。それが現在の福島町あたりになるかな。
ですので、七つの川は今で言うなれば、
太田川放水路(山手川・福島川)・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川
ということになります。

聞けば、あぁそうか、という感じの方もいらっしゃるでしょう。
比治山か己斐の山にでも登れば、その多くは一望することができます。
広島は、美しいデルタシティーです。

ここでは、西から順に、山手川・福島川は一つとして、代わりに上記以外の川を加えて、全七回で、広島の川特集をしたいと思います。





◎広島の街の歴史が詰まった万華鏡~本川~

本川が、現在太田川水系の源流としてみなされている川、ということになりますね。
本川、としては、放水路と分かれてからの名称、ということになるでしょうか。
牛田あたりで放水路、それから猿侯・京橋両川と分かれた後で、広島城の横手で天満川と、下手で元安川と別れます。
広島城を抱くように西側の外堀のような役割も担い、まさに本川の名に相応しい、広島の中心地であり続けた川です。

それは北から順に地図を追っていくとたちどころに分かります。
牛田、白島を経て広島城北側に下ってきた太田川(本川)は、横川の南を通って、中央公園、平和公園の西岸を流れます。
中国新聞社を右手に見ながら平和大通りを超えてさらに下ると、厚生年金会館の脇をぬけ、舟入へ。
その後、吉島刑務所の塀を見ながら、江波へと流れ込みます。

その間、およそ十キロあまりでしょうか。
有名な観光地だけでも、広島城、旧広島市民球場、原爆ドームと平和公園、があり、文化施設としては、上流から順に、牛田東区スポーツセンター、ALSOKホール、中央公園、県立総合体育館、こども図書館、広島国際会議場、厚生年金会館、広島市中央図書館、などなど。また、中国新聞社やホームテレビなども並び、川を上から下まで下っただけで、市内の主要なスポットが網羅されるんじゃないか、というぐらいです。

本川というのはやっぱり、街中の川、というイメージがありますよね。
百万人都市の中心を流れる川に相応しい景観と、近隣施設を持った川です。
中央公園の脇に作られた堤防緑地帯をはじめ、平和公園、厚生年金会館裏の広場など、人工的ではあっても、ゆったりとした都市型の景観がデルタシティー広島の景観そのものであるとも言えるかもしれません。

そんな本川も、国道二号線あたりの住吉橋を超えると、吉島刑務所を除いて一般の居住地区を流れる川になります。
家々は比較的新しいものも増えてきますが、土手沿いの集落の生活風景は、あまり昭和時代と変わっていないんじゃないでしょうか。
一般的に川の周辺は都市部でも風景が変わりにくいですが、本川の周りも類にもれず、大規模な公共工事を除いては、あまり風景は変わっていません。特に西岸沿いはそう。
神崎小学校があって、近代的な住吉神社を対岸に見ながら川沿いを下っていくと大きなゴルフ打ちっぱなしの網が見えてきて、その周りに平べったい一軒家が並んでいて、という風景。
高級庶民居住区とでも言うんでしょうかね。
場所柄、古くから住んでいる方も多いのかもしれません。

一方、北側に行って中央公園よりも遡れば、また違った風景が続いていて、西岸には寺町の線香の香りが漂い、東岸を見ると基町の巨大な県営アパート群が並んでいます。
広島城の脇にある県営アパート群沿いからは高度経済成長期の香りが、対岸の横川も含めて漂い、間に太田川・本川・天満川の三叉路が挟まることで、春霞の頃には、よりぼんやりとした叙情的な風景になります。
こういった、中心部から一歩外側に出た本川の風景も、ある意味では都市部を流れる川ならではのものかもしれません。

中心部で有名なのは、市民球場の脇を通って、平和公園の北端で元安川と分岐する相生橋付近でしょうか。
本川小学校を右手に、市民球場や原爆ドームを左手に、川は広電の市内電車の音を聞きながら、相生橋の下をゆったりと流れていきます。
そこから中国新聞社のある平和大通の交差点までは、狭いけれども風情のある緑地帯が続きます。
桜の木や柳の木、紅葉、欅など、様々な木々が植えられていて、小さな神社や地蔵様があったり、ベンチが置かれていたり。
目の前に平和公園を、遠くに紙屋町のリーガロイヤルホテルなんかを望みながら、四季それぞれの風景を楽しむことができます。

個人的により好きなのは、厚生年金会館の裏手にある整備された土手の広場でしょうか。
ここは人通りが少なく、それでいて広い。
夕方になると、犬の散歩をしている人や、コンビニで買ったパンを齧りながら楽しげに話をしている中学生の姿を見かけます。
通りを挟んだお向かいにはアステールプラザ(広島市立中区図書館とホール)があって、コンサートや演劇など、色んなイベントがこの両施設で行われ、大きなトラックが機材や舞台を搬入したり、子供たちやご老人の行列が夕暮れに出来上がっていたりと、何だかワクワクするような熱気を時として感じることができます。
だだっ広い広場からはゆったりと川の流れを感じることができ、夕方には遠く己斐の山の向こう側に沈んでいく夕日を眺めながら、ぼんやりとした時間が過ぎていきます。

本川は白島から吉島辺りまで、ゆっくりと歩いても半日もかかりません。
その間にちょっと土手から脇に逸れて寄り道をして歩けば、広島と言う街の百年分の歴史が、万華鏡の様に次から次に見えてくると思いますよ。

 

本川沿いに立つ中国新聞社と土手の風景

DSC00627

 

本川沿いに並んである厚生年金会館(手前)とアステールプラザ(奥)

DSC00626

本川越しに見える平和公園と奥がリーガロイヤルホテル(紙屋町)

DSC00628

 
 

 

  

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 14:35 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

« 前 | 次 »

最近の記事

  • 広島のニュース : 広島東洋カープ 前田智徳選手 引退
  • 広島のニュース : 広島東洋カープ CS進出決定
  • 広島の風景 : 変わりゆく広島駅南側の風景
  • 広島の郊外 : 鹿島
  • 広島の郊外 : 桂浜
  • 広島の街 : 牛田(牛田本町)
  • 広島の街 : 牛田(牛田早稲田)
  • 広島の郊外 : 呉 2013 (2)
  • 広島の郊外 : 呉 2013 (1)
  • 広島の郊外 : 可部(2)

アーカイブ

  • 2013年9 月
  • 2013年8 月
  • 2013年7 月
  • 2013年6 月
  • 2013年5 月
  • 2013年4 月
  • 2013年3 月
  • 2013年2 月
  • 2013年1 月
  • 2012年12 月
フィードを購読