本日、3月4日、八丁堀のデパート天満屋がその長い歴史に終止符を打ちました。つい、数分前ですかね。おそらく営業を終えてしまったんじゃないかと思います。
開店から50年余り、本当にお疲れ様。
天満屋が福屋のよきライバルとして戦後の広島の復興、発展、成熟に果たした役割は決して小さく無かったですし、店舗自体も広島のシンボルの一つでしたね。
なんて、しんみりした思い出でも書こうかと思って、中国新聞さんのウェブサイトを見ていたら、別の驚く記事が入ってきました。
中国新聞:福山ロッツ、来春閉店へ
中国新聞:市民に戸惑い…ロッツ閉店
つい先日、福山の記事を書いて、その中でボツにした部分で、
「駅の西側にはロッソという意味不明な商業施設が立っています。綺麗と言うべきか、小ざっぱりしすぎているというか、なんだか巨大な公民館みたいで、購買意欲が全くそそられない。ほら、デパートやショッピングモールでもいいんですけど、そこに入って行く時の高揚感みたいなもの、そんなものが全く無いんですよ。駅の東側の路地が入り組んだ商店街の入口なんかと大違いです」
なんて言おうとしてました。暗くなっちゃうってか、クドくなっちゃうんで止めたんですが、何のことは無い、現実は正面からやってきたみたいです。
広島のニュース : 変わる広島の街 ~①八丁堀天満屋の閉店と変わる広島繁華街の風景
広島の郊外 : 福山(2)
ロッソさんってのはこの右側の建物ですね。
福山駅前の天満屋さんには本当に頑張っていただきたいです。あれが無くなったら、福山は堰を切ったような状況になってしまうと思う。
ただ、先日読んだ本で、ちょっと面白い部分があったんです。それは「小売店が『文化を売る』という時代は終わった」という話で、なるほどなぁ、と思いましたよ。
幸田真音さんの「舶来屋」という本なんでご興味があれば読んでほしいのですが、要は戦後30年あまり、小売店(デパート、百貨店、ブランドショップ、或いは街のパン屋でもそうだと思う)は、商品として「文化」を売ってきた、と。ただ、オイルショックを経たある頃(たぶん70年代後半)になって、「商品」が「商品(物)」になってしまった、ということですね。
以前、広島の店 : アンデルセンという記事を書いたときに、たまたまアンデルセンが「広島の文化向上」に果たした役割に触れたことがあったんですが、福屋や天満屋も含め、そういうことなんだと思います。
高度経済成長期、必要品を売る専門店からデパート、百貨店が主役の座を奪ったのと同様、今は、彼らからソレイユや家電量販店が主役の座を奪おうとしている。「物」としての「商品」を売るだけなら、そっちの方が安くで便利ですもんね。
中国新聞の記事には「閉店後のビル運営について「市は今後の計画を早く示してほしい」と注文する。」という一節がありました。市が示すべきは新しい小売業形態の導入ではなく、新しく「文化を売る」業種の導入なんじゃないかなぁ、なんて思います。
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【関連する過去ブログ】
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広島の風景 : 変わりゆく広島駅東側の風景
広島の街 : 八丁堀
広島の会社 : 福屋
広島の店 : アンデルセン
広島のニュース : 紙屋町プロジェクト
広島の郊外 : 福山(1)
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