(広島の郊外 : 竹原(1) より続き)
竹原の話でしたね。街並み保存地区を歩き回ること数十分、徐々に小雪が舞い始め、木造りの素敵な格子戸に、白い雪が溶けます。おぉ、寒い、寒い。
それにしても、この街の清廉で、凛とした造りの家々には、冬の冷たい風がよく似合います。それでいて、どこか気品漂う街なんですよね。
前回も少し触れましたが、竹原の繁栄の礎を作ったもの、それは「塩」に他ありません。そもそも、竹原は下賀茂神社の荘園として、古くは鎌倉幕府以前から村ができました。この街の「気品」は、あるいはそのあたりから始まったものかもしれないのですが、竹原が、本格的に街として発展したのは、江戸時代、18世紀半ばになって、竹原に塩田が作られるようになってからです。「竹原の塩」の評判は一気に高まり、日本一の塩と謳われるようになったんですね。塩田は、やがて昭和に入り、軍需産業にその場をとって代られるまで、実に300年近く、竹原経済の中心産業として栄えます。
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広島の郊外 : 尾道(1)
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この頃の竹原はよほど栄えていたと見え、当時の建物の格子戸の優美さに、その様子を垣間見ることができます。竹原の人、と言うのは、基本的には、質素、合
理的で、信仰心に富み、賀茂・安芸津の性格を色濃く出していて、例えば立派なお屋敷でも、最上階は驚くほど高い天井の塩工場、あるいは貯蔵庫で、贅沢な飾
りつけなど皆無な造りになっています。
そういった竹原の塩豪商たちが、唯一「凝った」のが、左の写真にあるような、竹原格子と呼ばれる、独特の木細工だったそうです。
今見ても、質素で、オシャレで、実に美しい細工ですよね。結構いろんな建物に残されていて、家紋をかたどったもの、商号にまつわるもの、など、我々の目を楽しませてくれます。ゴテゴテしていないのが、竹原らしい。
そのあたりの竹原発展の様子は、竹原市歴史民俗資料館(公式ウェブサイト)に詳しいです。造り自体も美しい資料館で、街並み保存地区の真ん中にあるので、ぜひ訪れてみてください。
(一枚目から、民族資料館、建物の最上階に造られた塩加工場、そして美しい格子戸を持つ竹原民家)
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さて、塩により街が発展すると、合わせて色んな産業が生まれてきます。そのうちの一つが、竹原の日本酒です。近くに名水の賀茂川が流れ、寒暖に富んだ竹原の気候は、まさに酒造りにうってつけ。賀茂川の上流に位置する西条ほどではないにせよ、多くの日本酒メーカーが江戸時代から生まれました。
有名な話ですが、ニッカウィスキーを興した竹鶴政孝さんは、この竹原で酒造業・製塩業を営む竹鶴家のご子息さんですね。まさに、竹原が生んだ、味覚のサラブレッドであったわけです。
ニッカウィスキー竹鶴政考紹介サイト
余談ですが、面白いのは、この竹鶴政孝が中学生時代に、寮生の一つ下の学年にいたのが、同じく竹原の造り酒屋出身の、池田勇人元総理大臣になります。お父さんは、郵便局長もやっておられたそうです。
(竹原酒造交流館と、酒蔵の白壁。民俗資料館の中の酒関連展示)
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ただ、竹原に行ってみると、驚くほど、この市が生んだ二人の偉人に関して取り上げていないことがわかります。ほんのちょびっと記述があるか、無いか。むしろなぜか、一般的な知名度のはるかに低い、頼山陽ばかりが取り上げられている(笑)
二人がまだ、「過去の人」になっていない、というのはもちろんあるでしょう。ただ、同時に、戦前・戦後を通じて竹原が歩んだ「昭和時代」というものも、色濃くこの街の今の性格を形作ったような気も、私はするんです。
では、竹原はどんな「昭和時代」を歩んできたのか。そのあたりの話は、また次回。
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【関連する他のウェブサイト】
竹原観光案内のウェブサイト
竹原市歴史民俗資料館公式ウェブサイト
ニッカウィスキー竹鶴政考紹介サイト
「かぐや姫号」を運行する芸陽バスウェブサイト
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