言わずもがな、広島におる人にとっては避けて通れない負の遺産。
広島とそこにおった人は何も(特別に)悪くないにもかかわらず、背負わされた十字架、そして世界遺産。それが原爆ドームであり、相生橋の南側、元安川と本川の間に広がる平和公園です。
正直、語るだけの言葉を持たず、このウェブサイトでも避けてきたようなところもあるのですが、誤解を承知で、「今の原爆ドーム」を取り上げてみたいと思います。
ガイドブックの表紙には必ず登場する原爆ドーム。風雨に晒されながらも広島の街のほぼ中心で、旧市民球場のお向かいで、路面電車の走る音を聞きながら立ち続けるレンガ造りの建物。
そして原爆ドームから元安川を挟んで対岸に広がる平和公園。
広島駅からだと広電で十五分あまりの場所に、それらは在ります。
とても一度には語りきれない歴史と、戦争の悲劇と平和の象徴であると言う点を別にすれば、現在の広島において平和公園と原爆ドームに見出せる意味は、案外二つだけなのかも知れないです。
一つは観光資源であること。
これは言うまでも無く、宮島と並んで広島にある世界遺産たる原爆ドームは毎年多くの観光客を集客しています。修学旅行生と海外からの旅行者が特に顕著で、国内旅行者を惹きつけているという声はあまり聞きませんね。
市内の中心部にあることもあって、観光で広島に来たのに原爆ドームには行かなかった、という人はごく稀でしょう。無論、戦争と平和を考える上でも大きな意味を持つのでしょうが、同時に集客施設としての意味も大きい。
ただ、これは実に皮肉な逆説で、特に江戸時代以降常に栄え続けてきた広島と言う街に、その他の観光施設が残らなかった、とも言えるからです。原爆が全部、ふっ飛ばしてしまった。
残っていれば、原爆が無ければ金沢なんかにも負けず劣らず近代遺産が、或いは江戸時代の風景が残る街だったことは想像に難くありません。
残念ながら市内には一つ残らず、と言っていいほど残っていない。アンデルセンなど、ごく一部の建物だけでしょうね。
もう一つあるのは、市民生活に対する緑地提供という側面です。
広島市ほどの人口密度の中で、平和大通も含め、市内の中心地にこれだけの緑地が維持される、と言うのはやはりその施設の持つ意味合いのお陰である、と考えざるを得ない。
実際、平和公園の傍は緑に溢れ、元安川沿いのカフェ何かも盛況です。
それからこの位置に緑地がまとまって確保されたため、かえって他の市街地(大手町・紙屋町・本通り・八丁堀・袋町・流川あたり)には緑地が極端に少ない。
よく言えば街のメリハリが維持されている、ということになるでしょう。
実際、原爆が落ちるまで、この辺りは中島町なんて呼ばれて、市内の中心地、今の中の棚あたりに近い役割を持った街でしたから、その機能がそのまま東側に移動した、とも言える。
移動と言っても原爆後の更地ですから、街の作りも計画的で、車の通れない路地みたいなのも殆ど無い。前述の様に公園も無い。
広島が車社会になっている一因はこの辺りにもあるんじゃないでしょうか。
全体を通してみると、原爆ドームを残して、広島の建物は、ほぼ壊滅した。
その後、良い悪いは別にして街は計画的に作られ、原爆ドームは代わりに集客を担う「歴史的」施設になった、ということになるんでしょうが、まぁそこまで割り切って言えるかどうかは別問題です。
あくまで個人的な心象とすれば、平和公園のすぐ傍で生まれ育った身とすれば、良い意味でこの「歴史的」出来事は、既に風化しています。
平和公園は公園であり、原爆ドームは観光施設であり、原爆投下は街を近代化し、一方で古いものはぶっ壊れ、美しかった広島の近代の街並みを私達は見ることは出来ず、そんな訳で原爆投下をアイデンティティーにする訳にもいかないから、(宮島は遠いし)カープと広島弁がアイデンティティーになる。
極論を言えば、奥田民生が好き、と言うのは皮肉に生まれた広島のアイデンティティーな訳だし、そう思えるほどに、既に原爆投下は風化しています。
ただ、悪い事じゃない。いつまでも十字架背負って歩く訳にはいかないですからね。
平和公園で花見もやれば、フラワーフェスティバルもやる。元安川沿いでストリートミュージシャンが歌い、市民が犬の散歩をしてる脇を修学旅行生がゾロゾロ歩く。それでいいじゃないですか。
でもね。思うんです。全部吹っ飛ばされた広島でも、今の街はとても美しい街ですよ、と。
路面電車がガタゴト通り、小気味良い広島弁がお好み焼きの匂いと共に街角を賑わし、野球の試合がある日にはユニフォーム姿がゾロゾロ街を歩く。広島に来た人にも、そんな今の街をもっと見て欲しいなぁ、と。
都市名で本を検索してみてください。
広島ほどの街なのに、街を紹介した本はとっても少ない。原爆関連の本に比べると何十分の一ぐらいでしょう。
それじゃあ、ちょっと悲しい。
ここで取り上げた見方には賛否両論あるとは思います。
歴史は歴史として捉えていきながらも、囚われることなく、もうちょっと今の広島の街を良くして、紹介していきたいな、と言うのがつまるところ、です。
美しい街並みと人を吹っ飛ばしたことには腹が立って仕方ないですが、せっかくまた、美しい街になってるんですから。ほら。ねぇ。
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