広島に現在も残っている下町風情、と言うと、広島駅前(南口)から荒神町のあたりに続くエリア、横川 から十日市町を抜けて土橋あたりまでのエリアとありますが、最も街としてその姿を現代に適応させながら下町風情を残しているのは皆実町ではないでしょうか。
ここでは2回にわたってそんな皆実町の風景を追いかけてみたいと思います。
皆実町は京橋川に沿うようにして、一丁目から六丁目まである縦に長い町です。
大手町が一丁目・二丁目 から 三丁目・四丁目・五丁目まであるのに似ていて、商業地の大手町と違って、こちらは完全に住宅地の下町。
真中を広島電鉄宇品線が通り、広島駅と宇品(広島港)とを結ぶ主要ルートであり、また、御幸橋を挟んで市内とつながることから、特に大正時代以降は活況を呈しました。
もちろん、軍都広島の象徴でもあったわけですが、戦後になると西に広島大学のある千田町、南にその付属高校、そして北に多くの高校を有する出汐町とに挟まれ、また市内に比べて格段に地代も安かったことから、多くの庶民がこの地に移り住みました。
専売公社(現在のJT)など、大規模な会社・工場が近隣に作られたのも大きいかったかも知れません。
マンションと言うよりはあるいは平屋の延長と呼んだ方がいいかもしれない二~四階建てのアパートがチラホラとでき、かつての小さな一軒家住民との共生が始まりました。
多くの人が、商店や工場で仕事をし、いわゆるホワイトカラーサラリーマンがあまり多く住まなかったこともあって、かえってその下町風情が醸成、保存された、と言ってもいいかもしれません。
そんな皆実町の特徴は何といっても路地の多さ!
京橋川を挟んだこともあってか、原爆の影響が市内に比べればやや少なく、また元々の地権者(一軒家)の数が多く、戦後も大規模な開発を免れたことで、現在も無数の路地が残っています。
この路地で、子供たちが遊びに興じ、老人が立ち話をし、この街の風景が作られてきました。
今でもお姉ちゃんが妹の手を引いて歩いたり、おばぁちゃんが手押し車を押して歩いているのをおじぃちゃんが寄り添ってたり、そんなホッとする様な風景をを普通に見ることのできる場所です。
それもこれも、車の入れない路地が多くて、アスファルトの上でも安心して歩けるから。
子どもができたら、ここで育てたいなぁ、と思う数少ない街ですね。
勉強ができるようになる気はしない街ですが、きっといい子が育ちやすい街だと思います。
防災上の問題はあるんでしょうが、できる限り、この路地は残して欲しい。
(皆実町の路地の風景。住民の軽自動車が通るか、通らないか)
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ただ、かつてに比べ、市内へのアクセスが良くなったりしたことや、近隣に大きなスーパーが増えたこと、傍の千田町などの開発で、全体的に商店街の活気が落ち、住民の平均年齢は上がってしまいました。
特に段原の開発は、背面を衝かれた形で、ちょっと痛かったかな。少し、車通りが増えて、道路整備が進んでしまったのが残念です。
それでも、鷹の橋なんかと比べれば、まだまだ人通りも多くて、あとは巨大なマンションとか出来ちゃわないことを願うのみですね。
夕暮れになると、買い出しに行く人や、どこからか、魚を焼く匂い、味噌汁の香り。
遠くで響く路面電車の音。
商店街は、閉まってる店もまぁありますけど、それでも夕方になったら結構多くの人が買い物をしてるんですよね。ついつい、覗いてみたくなるようなスーパーがあったりね。
何と言うか、これも一つのディープ・広島なんでしょうね。声の通りが耳に心地良い。
平日も、休日も、朝も、夕方も心地良い風景と音と匂いのするこういった風景は、皆実町の主に東側にあります。
広電線路を挟んだ西側には、かつて専売公社のあった場所に巨大なショッピングモールができて、皆実町のハイライトである六丁目の交差点は三叉路から十字型になって、、、
そんな風景は、また次回!
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