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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「交響曲『比治山橋』」
比治山橋の電停で降りて、家とは反対方向、橋を渡ってその先のパン屋に行く。
市内でも有名なパン屋だそうだが、生まれてから30年数年、ずっとここのパンを食べてきたので、特別美味しいとは思わない。
もっとも、30数年食べてもまだ買いに行っている、ということはやっぱり美味しいのだろうか。
広島は来週梅雨入りするそうだ。
気分がゲンナリするね。
ナツヒロ勤め先は同じ広電皆実線沿線なので、ものすごく大変になる、というわけではない。
ただただ、気分が滅入るのだ。
そういえば小学校のときに「梅雨時期は元気がないです」って通信簿に書かれたっけか。
両親は情けない、などと言っていたが、おじちゃんだけは感性のするどいいい子じゃ、なんて言ってたっけか。
ま、そのおじちゃんは競馬が趣味の堕落者だそうですが。
お気に入りのパンを4つほどプレートにのせる。
中にアンコの入った揚げパン、中にクリームが入っていてチョコチップのかかったメロンパン、オーソドックスな蒸しパン、そしてミルクフランス。
今日の夕食と、明日の朝食分だ。
まてまて、甘いのばっかりじゃないか。
朝食はともかく、夕食分がない。
いや、まてよ、今日は実家に行くって言ったっけ。
実家は今のアパートから徒歩3分の場所なのだ。
結局、一旦取ったパンを戻すのも気が引けたので、タイムセールになっていたコロッケサンドを追加することにした。
から揚げも気になったが、それはグッとこらえた。
パート先のユニフォームが、ちょっとキツくなってきているのだ。
去年の11月に変えてもらったばっかりで、さすがに半年あまりでまたお願いするのは気が引ける。
別にそんなに太っているわけではないが、さすがに20代も後半になると食べただけ、身についていく。
人間がひねくれていくのに反比例して、身体はカロリーに正直になっていくものだ。
一度渡ってきた橋をまた戻る。
日が長くなったなぁ。7時なのにまだ明るいよ。
橋を渡り終え、専門学校の前を横切るところで、ふと、ポスターに目がいった。
それはコンサートの宣伝ポスターだった。
見たところ音楽系の専門学校ではない。
普通なら通り過ぎるところだろうが、曲目に興味をそそられた。
「交響曲『比治山橋』」
そうか。さっき渡った橋、そういえば比治山橋か。それでここにポスターが。
しかし、なんで?
曲を作った人も、なんでまた「比治山橋」なんて名前をつけたん?
音楽のことはさほど詳しくないけど、交響曲ってのは確か色んな曲についてたような気がする。
交響曲、という響きからは、なんとなく、モーツアルトとか、ベートーベンとか、そんなのが浮かんでくる。
一方、比治山橋、という響きからは、ママチャリを必死にこぐおばちゃんか坊主頭の中学生くらいしか浮かんでこない。
比治山ならともかく、橋までつけて、曲を作った人が比治山橋に思い入れでもあったのだろうか。
ふと振り返って、夕暮れにたたずむ橋を見る。
こうしてみると正面の西日を受けて橋が少しいつもとは違って見える。
でもいく並んでも、モーツアルト、ベートーベン、比治山橋、ってのはないんじゃない?
一応、日付を見てみると、6月14日と書いてあった。
来週の、土曜日か。場所は市内のコンサートホールね。
まぁ暇だったら行ってやりましょ。どうせ大した予定もないんだ。
なんとなく、アパートには行かず、実家に寄ることにした。
父親はまだ仕事から帰っていない。
台所で食事の支度をしている母親に「ただいまー」と言う。
鍋のフタを右手に持ったまま母親が振り返って、「あれ?あんた今日は来るんじゃったん?」と返してきた。
やはり今日は来ない日であったか、まぁいいや。
ご飯食べて帰れば、という母親の申し出を丁重に断り、尋ねてみる。
「比治山橋協奏曲って知っとる?」
すでに間違った曲名を母親がストレートに否定して答える。
「比治山橋交響曲じゃろ?それならこの前聴きにきて下さい、ゆーてパンフレットもって学生さんが来ちゃったよ」
小麦粉で白くなったパンフレットを見ると、「交響曲『比治山橋』」と書いてあった。
どうせ違いは二人ともわかっていない。
「なんで比治山橋って名前なん?」
「知らんよ。この辺の人が演奏するんじゃないんね」
ん、演奏する人の名前がつくのか?
パンフレットの小麦粉をパタパタ落とすと、エリザベト音大第二管弦楽団と書いてある。
違うじゃないか。
こいつに聞いてもダメだ。
「お父さんに会ってから帰りんさいや」
そういう母親の申し出を、今度はぞんざいに断って玄関を出る。
ようやくあたりは暗くなっていた。
なんで比治山橋なんじゃろ。
(この物語はフィクションです)
投稿情報: 19:51 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
少し時期はずれてしまいましたが、フラワーフェスティバルについて。
ご存知の通り、広島市中心部、平和大通りに沿って5月のゴールデンウィークに行われる、広島最大のフェスティバルです。
この日ばかりは街中に人があふれます。
起源は1975年に広島東洋カープのセントラル・リーグ優勝パレードで、
そこにあまりにも多くの人が集まったため、その後フェスティバルとして毎年行うようになりました。
広島ではこのほか、宮島・厳島の鎮火祭や花火大会、広島みなと夢花火大会(旧大田川・宇品両花火大会)、
あとは平和記念式典などもありますが、訪れる人の数で言えば、100万人を超え、圧倒的です。
私の育った家は平和大通りのすぐ真裏にあったので、
毎年、家の周りが人だらけになったのを覚えています。
こちらステージの準備の様子。
こちら屋台の準備の様子。
ただ、フラワーフェスティバルは、どうも「ヨソイキ」のイベントとしてのイメージが強いです。
あまり市民のお祭り、というよりは、他県や他の地域から来た人に対してのフェスティバル、という感じ。
同じ市内で行われるイベントでも、「とうかさん」や、「えびすこう」といったお祭りの方が、より市民向け、という感じがします。
最も、フェスティバルは元々が「イベント」であって、「お祭り」ではないので、仕方がないのかもしれません。
その点では、例えば「博多どんたく」や「ねぶた祭り」とも違います。
こうした純粋な「フェスティバル」としては、多く人を動員できている方なんじゃないでしょうか。
残念なのは、このフェスティバルのテーマが、あまり重要ではないことでしょうか。
「フラワー」と名がついているからには、「花」がテーマになっていそうですが、
それはごく一部だけ、と言った感じです。
そもそも、広島県や広島市に「花」のイメージを抱く人も少ないでしょうし。
いっそのこと、「もみじフェスティバル」や「カキフェスティバル」の方が、
時期の問題はあれ、他県から見ると、しっくりくるイメージなんでしょうね。
ちなみに、広島がこういった「ヨソイキ」の顔を見せることは、非常に稀です。
基本的には、内向きな県であり、他県、特に他の中国地方4県との交流を軽んじる傾向にあるように思います。
「ヨソイキ」のいい例が、「ヨサコイ」をメインイベントにすえていることでしょうか。
また、毎年訪れるゲストも、広島県とは接点のない人が多いです。
これはすごく珍しい。
今後、こういったイベントがどの様に変化していくのかも、注目ですね。
なお、個人的にこのフェスティバルで一番感動するのは、「片付け」の早さです。
翌朝には綺麗サッパリ日常を取り戻しています。
今度、他県からフラワーフェスティバルに行く人がいたら、是非日程を1日延ばして、
「祭りの後」の日常の表情も見ていってください。
投稿情報: 20:15 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ご存知、フジテレビのアナウンサーです。
最近は内勤が多いようで、あまりテレビで見ることはありませんが、
他の若手アナウンサーには出せない好々爺風の味をまだ若いうちから出していた希少な人です。
出身は広島市内。
広島駅のすぐ近くだそうです。
ご存知の方も多いかもしれませんが、広島はアナウンサー天国。
フジテレビのアナウンサーには広島出身の方が多いです。
福井アナのほかにも、山中秀樹アナ(現フリー)、三宅正治アナ、西山喜久恵アナなどなど。
また、NHKでは、広島放送局を経て、全国ニュースにデビューするルートが仙台ルートと並んで有名です。
なぜ方言の強い広島からそんなに多くのアナウンサーが出て行くのかさっぱりわかりませんが、都市のサイズや政治・スポーツ界へのコネクションの強さがそうさせているのかも知れません。
西山アナの実家なんかは古くからの旅館・料亭で、政治家や実業家とのつながりも強いですしね。
ちなみに皆さんカープファンだそうです。
福井アナは修道高校出身。
駅近くの実家からは市内中心部を越えて反対側になります。
市内には古くから福井アナごひいきの店も多いそうです。
このブログでも取り上げた、地蔵通りにあるお好み焼き屋「もり」でも何度か見かけたことがあります。
おそらく野球中継なんかで広島に戻ってきたときにでも立ち寄っているのでしょう。
店の隅っこで、小さな身体を丸めながら一人でハフハフ食べている姿は、テレビで見る姿と大差ないです。
その辺の公立学校の先生、という感じで、威張ることもコソコソすることもなく、好感が持てる雰囲気でしたよ。
今、40代から50代くらいの世代の広島出身者はすごいですね。
テレビを見ると、必ず毎日スクリーンに映ってる。
アナウンサーもそうですが、ミュージシャンやスポーツ解説者など、本当に多い。
30代や20代になるとその数が一気に減ってきます。
と言うよりは、関西圏と沖縄を除く、地方出身者の数がものすごく減ってきている。
交通手段が便利になり、インターネットが普及して、地方と首都圏とのコミュニケーション格差は一見なくなったように見えます。
実際に、物理的な格差はほとんどない。
一方で、そういった進化は、沖縄や韓国、中国と言った、さらに外側の文化圏とのコミュニケーションも容易にしました。
そんな中、大きな地方都市の文化圏は次第に吸収されていき、首都圏と比べて人口の少ない都市でしかなくなってきている。
現フジテレビ野球解説者の達川さんなんてのは化石ですよ、ほとんど。
福井さんを初め、メディアに関わっている広島、あるいは地方都市出身者にはがんばって欲しいですね。
全国に同じ情報を同じタイミングで、そして皆が分かる言葉で伝えるのがメディアの使命であるという時代は終わりました。
そんなものはほっておいてもインターネットがやってくれる。
アナウンサーが方言で喋る日があってもいいはずです。
2009年のプロ野球オールスターは2日目が広島で行われます。
副音声で広島弁実況解説やってくれませんかね?達川さん呼んで。
面白いと思うんじゃけどねぇ。。
投稿情報: 16:25 カテゴリー: 広島の人 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「遠い遠い比治山へ」
「週末は比治山に行こう」
単純すぎるな。
「心躍る芸術の山」
「市内からこんなに近い比治山」
「比治山で自然探索」
・・・作ってはボツだな。
ヒロミチは広告代理店に勤めだして、丸3年。
製作を請け負っているタウン誌で、初めてカバーページの企画を任されてから1週間。
3日目に企画を4つほど書いて持っていったら、まずテーマが決まらんことにはなあ。と言われてすごすご引き下がってきた。
だからって、何で6月号で比治山なんだ?
せめて桜の咲く季節なら、チーフにそうこぼしたら、そしたら単純な企画しかでてこないだろ?ほら、「花見なら比治山」みたいな、さ。
と一蹴された。
もっともだ。
うちのタウン誌企画は斬新さがウリだ。
うちのような、地方の二流代理店がどうにかカバーページの企画をもらい続けているのは、そういった斬新さが一部の読者にウケているからだ。
「桜が散ってもやっぱり比治山」
ダメだな。これも。
カバーページの企画はそうそう簡単に任されるものではない。
中途で入社したベテランの社員でも2-3年は補佐だ。
新入社員が任されること自体、ヒロミチはまだ見たことがない。
会社が設立されてから20年。
これまではずっと創業者グループが主体になって企画を進めてきた。
地方タウン誌とはいえ、広島市100万人を対象にした本のカバーページならなおさら、彼らが取り仕切ってきた。
毎年5人前後の新入社員をとってきたとはいえ、彼らの仕事のほとんどは営業だ。
企画したり書き物をしているのは、創業者グループか、中途で入った4人の社員達だった。
会社の風向きが変わったのは半年前。
50人あまりしかいない会社のメンバーのうち、5人が辞めて会社を新しく作った。
その中には創業者グループの一人も入っていた。
営業だけじゃなく、企画モノも少しはやらせていかないと、そんな声がチラホラ聞こえてきた。
そうして新卒で入った5年目くらいまでの社員の中では比較的優秀な成績をおさめていたヒロミチに白羽の矢が立った。
正直、うれしいとか、そういう感情はあまりなかった。
他の人が選ばれていたら多少自尊心を傷つけられていたのかもしれないが、悔しいというほどのものでもなかったと思う。
ヒロミチはそれほど仕事に情熱を傾けてやるタイプではなかった。
なんでも器用に、それなりにこなしてきた結果が、今のポジションだ。
それにしても弱った。
これまでも企画を作ったことがないわけじゃない。
営業ばかりをやっていたころも、チーフと相談してはちょこちょこ企画を小出しにして営業提案をやっていた。
大きな違いは、営業提案では企画を何個も出していいのに対して、こちらは営業が終わった後なので、企画を一つに絞らないといけない点だ。
敢えてなのかなんなのか、チーフも今回はあまりアドバイスをくれない。
良く考えてみたら、チーフですら、2回しかカバーページの経験はない。
してくれないんじゃなくて、できねーんじゃねーの?そんなことを思いながら鉛筆の後ろで頭を掻く。
さすがに明日には企画を出さないと、やばい。
そう思うとプレッシャーでますますアイデアが浮かんでこない。
こんなこと、これまでなかったのに・・・
改めて調べてみてわかったのだが、比治山はとても中途半端だ。
美術館があるとは言っても、市内中心部にも2つ大きな美術館はある。
展示の中身がちょっと違うからといって、そんなに興味をそそられるものじゃない。
自然があるといっても、平和公園に毛が生えた程度。
景色に至っては、記憶にすらない。
そういえば、比治山なんてもう5年も行ってない。
ヒロミチは市内で育って、市内の学校に行って、市内で就職をした。
それでも比治山ほど馴染みがない場所はないかもしれない。
なんてったって、不便なのだ。
自転車であがって行くも、結構大変だし、自家用車でもないと、比治山へのルートは、バスか、広電の比治山下電停で降りてトコトコ歩いていくしかない。
その広電も市内中心部とはつながっていない皆実線、通称比治山線の電停だ。
うーん。
悩んでいても仕方ないので行ってみることにした。
3日前に営業車で一度行ったが、今度は広電で行くことにした。
広電で比治山なんて、初めてだ。
ヒロミチの会社がある紙屋町からは、ぐるっと的場町経由で皆実線に乗り換えるしかない。結構な移動だ。
しかも、外は早くも梅雨がきたかのような雨。5月とは思えない蒸し暑さだ。
外出届を出し、メモ帳と傘だけを持って外に出る。
早くも比治山が遥か先の場所のように思えた。
広電に乗る。
ガタンゴトン。
揺れる電車に身を任せる。
案外、市内に住んでない人の方が比治山とか行ったりするのかもな。
的場町で乗り換えてさらに15分ほど揺られて、ようやく比治山下電停に着く。
案の定、何もない電停前の風景。
申し訳なさそうに比治山への上り口が顔を見せている。
小降りになってきた雨が霧雨のように傘の下から入り込んでくる。
あーもう、なんなんじゃ
この際、そんな企画にしてやろうか、そう思いながら比治山をあがる。
一応、美術館と図書館の入り口まで行ってみる。
入る気は、さらさら起こらない。
桜の季節や夏休みならともかく、5月の雨降る蒸し暑い日の午後にわざわざ比治山で芸術を愉しむだけの余裕なんて、25歳独身男にあるわけがない。
あ、そういえば明日の合コンの予定どうしよ。
今日中に企画ができんと、、、、うーん。
気がついたら雨がほとんどやんでいたので傘を閉じる。
目の前にはぼんやりと薄暗い広島市内の景色が見える。
悪くない景色だ。でもいまさら「市内を一望できる比治山」なんて当たり前の企画が売れるほどこの業界は甘くない。
広島市が、とても遠い街に感じられた。
ふと、思う。
比治山って、広島市中心部にあるようで、ないんじゃないか。
市内の人だってほとんど訪れることはないだろう。
そこから見える市内の景色は、まるで遠い街の写真でも見てるかのようだ。
空だけが、動いて見える。
そうか、遠い遠い比治山に上って広島市街を外から眺めてみよう、か。
「遠い遠い比治山へ」
悪くない。
ボツになるかもしれない。合コンも行けないかもしれない。
でも、悪くない。
メモ帳に走り書きをする。
本が売れて、比治山にいっぱい人がやってきて、ここも市内みたいになったら、イヤだな。
なんてにやけながら、ヒロミチは会社への帰路に着いた。
そうか、また、比治山下電停からの長い旅か。。。
(この物語はフィクションです)
投稿情報: 15:38 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
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全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「段原一丁目ワンルーム」
広島駅から徒歩十分のワンルームマンション。
広電段原一丁目からなら徒歩1分。
快適なシティーライフをお約束します。
おいおい、これをシティーライフとは言わんじゃろ。
段原一丁目の広電電停を越えてから、マンションまでの100メートル、ヒロミはいつも口を尖らせてつぶやく。
瀬戸内海にぽつんと浮かぶ小さな島から出てきて1ヶ月。
今日は何だか面白いことがおきそうだ。
この電停を降りてからそう思ったことなんて一度もない。
裏にはもう比治山がばばんとそびえ立ち、夜には街も薄暗くなる。
確かに広島駅からは3駅。
歩けばがんばって10分でつかないこともない。
段原地区の整備に伴い、少しだけ道路が綺麗になったそうだが、なんとなーく街は薄暗く、シティーライフとは程遠い雰囲気を醸している。
まず電停からして何だかパッとしない。
それでもヒロミが通う音楽大学からは自転車で10分ほど。
立地としては、まぁいい方なのだろう。
一階のエントランスの脇を抜けて自転車を止める。
手にはコンビニで買ったのり弁当。
揚げ物たっぷりだが、今日は金曜日だから、自分にご褒美だ。
4月から入学した音楽大学にはなかなか馴染めない。
生徒はやはり市内の娘が多く、自分のように小さな島からひょっこり出てきたような娘は、たぶんいないと思う。
自分の広島弁は、周りのそれより、ちょっとキツイのが自分でもわかる。
うち、とか最近の街っ娘はあんまり言わんのんじゃねぇ。
それでも自分がワンルームの暮らしにあっさり溶け込めたのは意外だった。
島では何人で住んでるの?ってほどのサイズの家に両親と、おばあちゃんと、弟と、5人で暮らしていた。
それが急に実家の一部屋サイズもないような家に引っ越してきたのだ。そして家には自分一人。
周りには友達も知り合いもほとんどいない。
最初は大丈夫だろうか、と思った。
案外、大丈夫。
市内にはちょくちょく出ていたこともあったが、やっぱり住んでみると全然違った。
宇品に船で来ていた頃には、交通手段は広電か、自分の足だった。
段原一丁目なんて、通ることもなかった。
自転車を持って、休みの日には市内に出てみる。
そこには自分の知らなかった風景がいっぱいあった。
中でも川沿いの風景は新鮮だった。
島には大きな川なんてなかった。
市内に出ても、川に目を落とすことなんて、なかった。
京橋川なんて、名前も知らなかった。
今は京橋川を渡らない日はない。
家族はみんなどうしてるかな、とふと思う夜がある。
歓迎会で飲んだ帰り、数少ない島時代の友人と会った帰り道、そんな時に。
父親は島をほとんど出たことがない。
島の小学校を出て、中学校を出て、高校には行かずに働いてきた。
ちょくちょく市内に飲みには行っていたようだが、暮らしたことはほとんどないそうだ。
市内には、美味しいお店もある、楽しい場所もある、おしゃれな飲み屋もある。
段原一丁目のような電停ですら、降りたらコンビニが目の前にある。
島には、そのどれもなかった。
スピーカーの電源を入れ、iPodを差し込む。
こっちに引っ越してくるときに買ってもらったものだ。
音楽大学なんじゃけぇ、これくらいいるじゃろ。と訳のわからないことをいって買ってもらった。
買ってくれた親は、そのどれも持っていない。
未だにおんぼろカーステレオのラジオが唯一の音源だ。
弟は自分が持っていたCDプレーヤーを使っている。
島では、全てが一つの流れの中でつながっていた。
朝起きる、顔を洗う、トーストをかじる、家の玄関をガラガラっと開ける、学校に行く、途中で商店のおばちゃんに挨拶をする、ハゲ教頭がバスから降りるのを見る・・・・
全部が一連の流れのようだった。
こっちに出てきてからは全てがぶつ切り。
ワンルームの中と、橋の上と、学校の中。
のり弁当を電子レンジで温める自分と、向かい風の中自転車をこぐ自分と、バイオリンを握る自分。
テレビの中のおじさんと、コンビニのちょっとかっこいいおにーちゃんと、神経質な先生。
不思議なもので、すぐに慣れた。
明日は広電に乗って、横川、というところまで行ってみることにした。
まだ、行ったことのない街だ。
学校で、知らんのんよ、と同じコースの娘に言うと、じゃあ一緒に行こう、と誘ってくれた。
ちょっぴり、楽しみだ。
夜はまたこのワンルーム。
既に見慣れた、段原一丁目ワンルーム。
明日は何だか面白いことがおきそうだ。
(この物語はフィクションです)
投稿情報: 21:50 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「モトノモクアミ」
次は~まとばちょ~まとばちょ~
おぉ、ファンファーレが鳴った。
広島駅から市内電車に乗って、3駅。
それもぐるっと遠回りをしてだから、歩けばなんのことはない、ものの5分あまり。
それでもモトヒロはいつも市内電車に乗って、そこに通った。
帰りは歩いても、行くときは、広電。
場外馬券場、ウィンズ広島ができて以来、モトヒロは毎週欠かさず、週末はここに来ている。
まさに雨にも負けず、風にも負けず、的場町の電停で降りて、この道を通ってきた。
ウィンズ広島は広電的場町電停からものの3分。
その間の道のりは、今年で60になろうかと言うモトヒロを、時にやさしく、時に恐ろしく、ちょっとした(幸運な)驚きと共に迎えてくれる。
待てよ、電停から3分ってことは、広島駅から歩いてもそんなに変わらんじゃないか。
10年越しの気づきを得ようとしたそのとき。
おぉ、モっちゃん。
見慣れた親父が声をかけてくる。
張った声でもない、投げ捨てたような声でもない。
コンビニに行って、いらっしゃいませ~、と言われているのと同じ感じ。
モトヒロの本日の勝負レースは第5レースの新馬戦。
つまりは、全馬本日が初出走だ。
普通、そんなレースに大金をつぎ込むアホはいない。
だって、どんなウンチクを並べても、如何せん走ったことがないのだから、勝負は下駄を履いてみなければ分からない。
それでもモトヒロにはこのレースで勝負する理由があった。
2枠3番、ヒロノカイウン
母馬は、ヒロノオジョウ。
モトヒロが大好きだった馬だ。
綺麗な栗毛で、くるんとした目が特徴だった。
確か20戦くらいして勝ったのは2回。
自分でもなんで好きだったのか分からない。
でも、今朝、駅で買った競馬新聞を眺めているうちに、その名前を母馬欄に見つけたときは、数年ぶりに心躍った。
60にもなると心躍ることなんてなかなかないわな。
まとばちょ~まとばちょ~、のファンファーレを聴いても、さすがに心躍るとまではいかない。
むしろ、身が引き締まる、という感じの表現がしっくりくる。
今日は、踊った心を包む痩せこけた身が一段と引き締まった。
レースまではあと1時間以上ある。
腕試しとばかりにその前の4レースを買った。
6枠12番、モトノモクアミ
名前は何だかパッとしないが、馬体はよく見えた。
ん、待てよ。
モトノモクアミってどういう字だっけ?
ん、待てよ。
むしろ、どういう意味だ??
思い出せそうで思い出せない。
気になって仕方がない。
モトヒロは良くも悪くも直感を信じて生きている人間である。
馬券を買うときも、その馬の成績や状態ももちろん重視するが、それ以上に自分の「感覚」のようなものを信じているフシがあった。
逆に言うと、己の「感覚」が気になったら最後、すっきりするまで他のことが手につかない。
モトヒロはとりあえずウロウロ館内を歩き回ってみた。
もちろん携帯電話を取り出して「モトノモクアミ」と打てば漢字くらいはわかる。
辞書機能を使えば意味だって分かるだろう。
でもそれを60歳・趣味競馬のモトヒロに求めるのは酷だ。
ウロウロ、ウロウロ。
うーん、思い出せない。
第4レースのファンファーレが鳴る。
気の入ってない表情でモニターを横目で見ながら、ウロウロ、ウロウロ。
出走場が砂煙を巻き上げながら、ダートコースを走っていく。
モトノモクアミもいい位置だ。
直線に入って、外から先頭を捉えようとしている。
それでもモトヒロはまったく興奮しなかった。それどころじゃないのだ。
ゴール寸前、先頭を行く馬に、周りとは別の意味でモトヒロは声をあげた。
モトノモクアミ!!
叫んだら思い出せるかと思ったが、ダメだった。
モトノモクアミは見事1着。
腕試しとしては最高の結果だが・・・
夕暮れの猿侯川を横切って、広島駅に向かう。的場町とは反対側のルートだ。
川沿いも、ようやく春のたたずまいを見せてきた。
もう今年も3月だ。
第5レースは結局、人気薄だったヒロノカイウンが2着に入り、高配当での決着になった。
モトヒロはというと、モトノモクアミが買って儲かったお金を全てヒロノカイウンにつぎ込んだもの、1着馬が買っていない馬だったので、全て馬券は外れた。
その後も出たり入ったり。
猿侯川のたゆまぬ流れを横目で見ながら駅に向かう。
右前方には、再び広電の広島駅。
う~ん、結局モトノモクアミじゃないか。
あ。
(この物語はフィクションです)
投稿情報: 17:23 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
行ってきました、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島。
長すぎる名称が未だにしっくりきませんが、そこは完全に新しい広島の球場。
そこかしこに「ならでは」の仕掛けがしてあり、チーム愛や愛郷心を煽るようなつくりになっていました。
ゲームは案の定負けましたのでさておき、球場の作りそのものは非常に良いです。
単に新しい試みがあるとか、使いやすい、とかそういうことではなく、
街の風景として、とても良い。
作り手の意図としては外から見たときに、というのが大きかったのかも知れませんが、
実際に行ってみると、中から見たときにとても良い。
レフト側を望んだときにJRの在来線や新幹線、その奥に仏舎利塔が見える風景も郷愁を感じさせますし、球場全体が市民球場以上にアットホームな雰囲気があります。
球場に出ている広告看板一つとっても、
「このまちが好き」とか、そんな感じのものが多いです。
地方都市にプロ野球球団がある有り難味がふつふつとわいてくる、
そんな思いにさせられる球場です。
もちろん、よく言われているように、広いコンコースにはたくさんの飲食店もあり、
利便性もずいぶん高まっています。
ある意味でこの球場は、地方都市に今後こういったイベント施設、
あるいはオフィスビルや住居ではない何かの施設(遊園地なども含めて)、
を作る際の、一つのベンチマークになっていくように思います。
もちろんコンセプトやデザインだけではなく、寄付などの資金調達や入札、
広告出資企業の募り方など、そういったノウハウの部分も含めてです。
今後、施設としての新球場建設を「てこ」に、どういった新しい街づくりを
広島市がやっていくのか、それにどうこの経験が生かされていくのか、
それもすごく注目したいですね。
投稿情報: 20:58 カテゴリー: 広島の街 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
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広電物語 : 「嗚呼たそがれの猿侯橋」
「嗚呼たそがれの猿侯橋」
俺が作詞家ならそんな詩を作るな。
そう思いながらヒロタは今日も、広電猿侯橋駅を左手に見ながら、橋を超えて最初の路地、いわゆる荒神三叉路から伸びる路地をを右手に入る。
あの電停でいつ来るか分からない電車を待つんだ。
2月の冷たい雨にたそがれながらね。
そんなことを思いながら、もう30年が経った。
作詞家になんてなってないヒロタは未だに果物屋のオーナーだ。
オーナーといっても別に店長が別にいるわけじゃない。
今日も変わらず店先に立つ。
どうせこの時期に果物なんてヤツはおらんのよ。
全館が暖房で常夏のように温められた巨大スーパーならいざ知らず、遠猿川沿いに一軒だけ佇む果物屋に、雪でも降ろうかと言う寒さの中、わざわざ果物を買いにくるような奇特な人間なんてほとんどいない。
普通に広島市内の高校を出て、経済大学へ。
大学を出て5年間サラリーマンをやって、その間に結婚をした。
その後、親父から店をついで、以降はずっと「果物屋さん」だ。
その間に大きなスーパーが出来たりつぶれたり。
店の前の景色も結構変わった。
猿侯橋の周りも整備された。
子供も2人出来た。男の子と、男の子。
そして、今年。
えらいことになった。
果物屋の裏手から歩いて5分の場所に新球場ができちまった。
そんなもんできたって、こんなこまい店、なんもかわらんよ。
そんな悠長なことを言っていたのも年が明ける前までだった。
いざ、球場が完成に近づくにつれ、どうやら街の様子が変わってきた。
ざわざわ、ざわざわ、と落ち着かない感じ。
「嗚呼たそがれの猿侯橋」
なんてのん気な風景は、もうすぐなくなってしまうかもしれない。
3軒先の饅頭屋は早速新商品を作っていた。
裏手には新しいコンビニが出来た。
新球場関係者が交通状況について説明に来た。
猿侯橋駅は新球場への最寄の駅だ。
おいおい。
この街はどうなるんじゃ?
ヒロタはどちらかと言うと新球場建設をずっと冷めた目で見ていた。
なんも変わらんよ。
あんなところに作ってどうするんじゃ。
カープの試合なんて10年くらい見に行っていない。
息子達が自分を置いて2人で見に行ける年になったくらいから。
果物売らんといけんけぇの。
そんな言い訳をしながら誰も来ない店先に立ち続けた。
いや、椅子に座っていただけだったが。
人ごみを逃げていた。
活気から目を背けてきた。
街の元気を、変化を横目で見てきた。
変わらない猿侯橋に自分を重ねていた。
でもその猿侯橋が、変わろうとしている。
4月、プロ野球開幕。
新球場に人が入る。
今とは比べ物にならないくらい、街は変わるだろう。
猿侯橋もこれまでの1ヶ月分くらいの人を1日で運ぶかもしれない。
広電に乗って、猿侯橋駅で、人が続々、続々。
せっかくこんな近くに住んでるんだ。
開幕したら、野球に行くか。
小さい方の息子に声をかける。
いや、彼女と行くけぇ。
ヒロタは苦笑いを浮かべながら、嫁の方に向かっていった。
(この物語はフィクションです)
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広島市内のまさに中心部に位置する神社です。
通称は「しらかみさん」。
市内を縦断する国道54号線と平和大通りの交わる交差点、
という広島の中でも最も良い場所にある神社です。
市内だと護国神社が有名ですが、
「しらかみさん」は規模もあまり大きくはなく、
より市民にとって親しみやすい雰囲気を出しています。
毎年春になると、神社入り口左手にある桜が満開になります。
5月には神社の周りはフラワーフェスティバルで活況を呈します。
6月になると雨の中しっとりと佇む神社が望め、夏には一服の清涼感を与えてくれます。
秋口には「しらかみさん」と言われる白神社祭りが開かれ、秋の訪れを教えてくれます。
もちろん、初詣にはかがり火が焚かれ、大勢の人が訪れます。
年間を通して、街中にありつつも、四季とその時々の雰囲気を感じさせてくれる、
そんな貴重な空間がそこにはあります。
投稿情報: 16:05 カテゴリー: 広島の街 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)