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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「嗚呼たそがれの猿侯橋」
「嗚呼たそがれの猿侯橋」
俺が作詞家ならそんな詩を作るな。
そう思いながらヒロタは今日も、広電猿侯橋駅を左手に見ながら、橋を超えて最初の路地、いわゆる荒神三叉路から伸びる路地をを右手に入る。
あの電停でいつ来るか分からない電車を待つんだ。
2月の冷たい雨にたそがれながらね。
そんなことを思いながら、もう30年が経った。
作詞家になんてなってないヒロタは未だに果物屋のオーナーだ。
オーナーといっても別に店長が別にいるわけじゃない。
今日も変わらず店先に立つ。
どうせこの時期に果物なんてヤツはおらんのよ。
全館が暖房で常夏のように温められた巨大スーパーならいざ知らず、遠猿川沿いに一軒だけ佇む果物屋に、雪でも降ろうかと言う寒さの中、わざわざ果物を買いにくるような奇特な人間なんてほとんどいない。
普通に広島市内の高校を出て、経済大学へ。
大学を出て5年間サラリーマンをやって、その間に結婚をした。
その後、親父から店をついで、以降はずっと「果物屋さん」だ。
その間に大きなスーパーが出来たりつぶれたり。
店の前の景色も結構変わった。
猿侯橋の周りも整備された。
子供も2人出来た。男の子と、男の子。
そして、今年。
えらいことになった。
果物屋の裏手から歩いて5分の場所に新球場ができちまった。
そんなもんできたって、こんなこまい店、なんもかわらんよ。
そんな悠長なことを言っていたのも年が明ける前までだった。
いざ、球場が完成に近づくにつれ、どうやら街の様子が変わってきた。
ざわざわ、ざわざわ、と落ち着かない感じ。
「嗚呼たそがれの猿侯橋」
なんてのん気な風景は、もうすぐなくなってしまうかもしれない。
3軒先の饅頭屋は早速新商品を作っていた。
裏手には新しいコンビニが出来た。
新球場関係者が交通状況について説明に来た。
猿侯橋駅は新球場への最寄の駅だ。
おいおい。
この街はどうなるんじゃ?
ヒロタはどちらかと言うと新球場建設をずっと冷めた目で見ていた。
なんも変わらんよ。
あんなところに作ってどうするんじゃ。
カープの試合なんて10年くらい見に行っていない。
息子達が自分を置いて2人で見に行ける年になったくらいから。
果物売らんといけんけぇの。
そんな言い訳をしながら誰も来ない店先に立ち続けた。
いや、椅子に座っていただけだったが。
人ごみを逃げていた。
活気から目を背けてきた。
街の元気を、変化を横目で見てきた。
変わらない猿侯橋に自分を重ねていた。
でもその猿侯橋が、変わろうとしている。
4月、プロ野球開幕。
新球場に人が入る。
今とは比べ物にならないくらい、街は変わるだろう。
猿侯橋もこれまでの1ヶ月分くらいの人を1日で運ぶかもしれない。
広電に乗って、猿侯橋駅で、人が続々、続々。
せっかくこんな近くに住んでるんだ。
開幕したら、野球に行くか。
小さい方の息子に声をかける。
いや、彼女と行くけぇ。
ヒロタは苦笑いを浮かべながら、嫁の方に向かっていった。
(この物語はフィクションです)
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