******************************************************************* |
広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
******************************************************************* |
広電物語 : 「病院は好かんのよ」
「おう、ヒロシゲのおやっつぁんじゃねーか。まーた県病院通いかい?」
「おう、ヤマモトんとこのせがれか。ワシャ、ホンマは病院は好かんのよ。だーれもきとーてきとらんわーや」
「きぃつけて行くんど」
いつものように県病院前の電停で広電を降りたとたん、11月の冷たくなってきた風が薄曇の空からジャンバーの隙間に刺し込んでくる。
二ヶ月ぶりに県病院までの道を歩く。去年の暮れに切った腹が最近また不調を訴えてきたからだ。
路上の木々はすっかり葉を落としてしまった。
まったく近頃の医者はヤブばっかしじゃ。
ブツブツ言いながらお好み焼き屋の前を通り過ぎる。
時間は丁度昼時。ソースの焦げるいい匂いと、キャベツの焼かれる音、蒸気、そして鉄板の熱が伝わってくる。
いやいや。今から医者に腹を見てもらおうかというのに、昼飯もないじゃろ。
一人かぶりを振って、トボトボと外来診察入り口へと向かう。
県病院も綺麗になったもんだ。
最初に腹を切ったのは今から40年前。盲腸だった。
その時もやはり県病院。
次に腹を切ったのは18年前。
早期退職してすぐに身体の調子がおかしくなり、診察してもらったらすぐに切りましょう、と言われた。
幸い病状は浅く、切ったらすぐに元の身体に戻った。
その後、12年前、7年前、4年前、去年。
全部県病院。
医者は去年と4年前だけ一緒。
この40年で6回も腹を切られた患者もそうはいるまい、と思っていたら、どうやら案外いるようでびっくりした。
人間、簡単には死なないもんだ。
その間も通院や定期健診を繰り返していたので、このあたりの料理屋、雑貨屋連中とはすっかり顔見知りになってしまった。
ちなみにさっきのヤマモトは酒屋のせがれ。
せがれと言っても50歳で、ヒロシゲと同年の親父の方は半年前から県病院に入院中。
酒屋の主人でも病院に入るのか、と妙に感心したもんだ。
せがれは昔から知ってるから、77のじじぃに向かって、未だにおやっつぁんだ。
診察券を受付で出す。
最近はなんかレシートみたいなのを取って順番を待つらしいが、よくわからん。
昨年など、検査できたら、レシートを取るなんて知らず、一日中待たされたもんだ。
看護婦がレシートを持ってやってくる。
「おじぃちゃん、今日はどうしたんですか?」
「ちーとわき腹のあたりがうずくんでの。一応見といてもらおうおもーて」
「ほぃじゃったらこのレシートをしっかり持っといてくださいね。番号を呼びますからね」
最初に腹を切った頃にはまだ腹の中にもいなかっただろう年の看護婦にボケ老人扱いされる。
腹も立たなくなった。
老人は老人らしく振舞うのが一番得をするのだ。
最初は馬鹿にしおって、と腹が立つこともあったが、もう慣れた。
初め、盲腸を切ったときの先生は今の自分より10ほど若かっただろうか。
こんなじじぃで大丈夫か?と思った記憶がある。
昨年、腹を切ったときは、盲腸を切ったときの自分の年よりも若い先生だった。
時代は変わる。
痛感する。
年もとる。
街も変わる。
主治医も変わる。
内臓はちょっとずつ切り取られる。
金も無くなる。
酒にも弱くなる。(もちろん医者からは止められている。)
髪も無くなった。
増えるのが年と腹の傷だけじゃあ悲しいじゃないか。
7年前の手術のときにそう思った。
何かを増やしたくて、昔のカメラを引っ張り出し、写真を撮り始めた。
70にもなって、と嫁は言った。
嫁は病気などしたこともない。
街を撮った、病院を撮った、海を撮った、電車や建物を撮った。
人は、撮らない。
別に意味は無い。人を撮るなんて、なんだか恥ずかしいじゃないか。
それから7年、驚くほど街の景色は変わっていた。
「ちょっとお腹出してくださいねー。どのあたりが傷みます?」
言われるがままに腹を出し、右のわき腹を指す。
指してから気がついた。
これは去年の手術の箇所じゃない。
驚くことに、それは40年前の盲腸の手術跡だった。
もう薄っすらとしか残っていないが、確かに手触りが残っている。
身体についた傷は簡単には変わらないもんだ。
「寒くなってきたけぇ、それでうずくんでしょう。一応、中の写真だけ取っておきますか」
頷いてから、シャツをズボンの中に入れる。
すっかり凹んだお腹が吸い込むようにシャツをズボンの中に滑らせた。
ありがとうございました、と一礼をしてから、白い大きな機械のある部屋に向かう。
通りかかった部屋の名札が目に留まる。
『ヤマモトヒロシ』
しゃーない、寄って行くかい。
大部屋に入って行き、場所を確認する。
窓側の、一番奥のベッドだ。確か前回は手前だった。
カーテンを開くと、慌ててコップを棚に置くヒロシがいた。
中身はもちろん水じゃない。
大方せがれが届けたんだろう。
ヒロシがこっちを見てニヤッとする。
自分もニヤッとする。
「よぉ」
「よぉ」
コップ酒に手をつける。
検査など知ったことか。
どうせお互いあと半年、元気でいるしかないんだ。
窓の外には晩秋の柔らかな日差しが見えた。
場合に寄っては、半年じゃすまんな。
もう一度ヒロシのほうを向いて、ニヤッと笑ってやった。
(この物語はフィクションです)