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  • 021019
    ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
    伊藤計劃

広電物語 : 病院は好かんのよ

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「病院は好かんのよ」


「おう、ヒロシゲのおやっつぁんじゃねーか。まーた県病院通いかい?」
「おう、ヤマモトんとこのせがれか。ワシャ、ホンマは病院は好かんのよ。だーれもきとーてきとらんわーや」
「きぃつけて行くんど」

いつものように県病院前の電停で広電を降りたとたん、11月の冷たくなってきた風が薄曇の空からジャンバーの隙間に刺し込んでくる。
二ヶ月ぶりに県病院までの道を歩く。去年の暮れに切った腹が最近また不調を訴えてきたからだ。
路上の木々はすっかり葉を落としてしまった。
まったく近頃の医者はヤブばっかしじゃ。

ブツブツ言いながらお好み焼き屋の前を通り過ぎる。
時間は丁度昼時。ソースの焦げるいい匂いと、キャベツの焼かれる音、蒸気、そして鉄板の熱が伝わってくる。

いやいや。今から医者に腹を見てもらおうかというのに、昼飯もないじゃろ。
一人かぶりを振って、トボトボと外来診察入り口へと向かう。
県病院も綺麗になったもんだ。

最初に腹を切ったのは今から40年前。盲腸だった。
その時もやはり県病院。

次に腹を切ったのは18年前。
早期退職してすぐに身体の調子がおかしくなり、診察してもらったらすぐに切りましょう、と言われた。
幸い病状は浅く、切ったらすぐに元の身体に戻った。

その後、12年前、7年前、4年前、去年。
全部県病院。
医者は去年と4年前だけ一緒。

この40年で6回も腹を切られた患者もそうはいるまい、と思っていたら、どうやら案外いるようでびっくりした。
人間、簡単には死なないもんだ。

その間も通院や定期健診を繰り返していたので、このあたりの料理屋、雑貨屋連中とはすっかり顔見知りになってしまった。
ちなみにさっきのヤマモトは酒屋のせがれ。
せがれと言っても50歳で、ヒロシゲと同年の親父の方は半年前から県病院に入院中。
酒屋の主人でも病院に入るのか、と妙に感心したもんだ。
せがれは昔から知ってるから、77のじじぃに向かって、未だにおやっつぁんだ。

診察券を受付で出す。
最近はなんかレシートみたいなのを取って順番を待つらしいが、よくわからん。
昨年など、検査できたら、レシートを取るなんて知らず、一日中待たされたもんだ。
看護婦がレシートを持ってやってくる。

「おじぃちゃん、今日はどうしたんですか?」
「ちーとわき腹のあたりがうずくんでの。一応見といてもらおうおもーて」
「ほぃじゃったらこのレシートをしっかり持っといてくださいね。番号を呼びますからね」

最初に腹を切った頃にはまだ腹の中にもいなかっただろう年の看護婦にボケ老人扱いされる。
腹も立たなくなった。
老人は老人らしく振舞うのが一番得をするのだ。
最初は馬鹿にしおって、と腹が立つこともあったが、もう慣れた。

Hiroden

初め、盲腸を切ったときの先生は今の自分より10ほど若かっただろうか。
こんなじじぃで大丈夫か?と思った記憶がある。
昨年、腹を切ったときは、盲腸を切ったときの自分の年よりも若い先生だった。

時代は変わる。
痛感する。
年もとる。
街も変わる。
主治医も変わる。
内臓はちょっとずつ切り取られる。
金も無くなる。
酒にも弱くなる。(もちろん医者からは止められている。)
髪も無くなった。
増えるのが年と腹の傷だけじゃあ悲しいじゃないか。
7年前の手術のときにそう思った。
何かを増やしたくて、昔のカメラを引っ張り出し、写真を撮り始めた。
70にもなって、と嫁は言った。
嫁は病気などしたこともない。
街を撮った、病院を撮った、海を撮った、電車や建物を撮った。
人は、撮らない。
別に意味は無い。人を撮るなんて、なんだか恥ずかしいじゃないか。
それから7年、驚くほど街の景色は変わっていた。

「ちょっとお腹出してくださいねー。どのあたりが傷みます?」
言われるがままに腹を出し、右のわき腹を指す。
指してから気がついた。
これは去年の手術の箇所じゃない。

驚くことに、それは40年前の盲腸の手術跡だった。
もう薄っすらとしか残っていないが、確かに手触りが残っている。
身体についた傷は簡単には変わらないもんだ。

「寒くなってきたけぇ、それでうずくんでしょう。一応、中の写真だけ取っておきますか」
頷いてから、シャツをズボンの中に入れる。
すっかり凹んだお腹が吸い込むようにシャツをズボンの中に滑らせた。
ありがとうございました、と一礼をしてから、白い大きな機械のある部屋に向かう。
通りかかった部屋の名札が目に留まる。
『ヤマモトヒロシ』
しゃーない、寄って行くかい。
大部屋に入って行き、場所を確認する。
窓側の、一番奥のベッドだ。確か前回は手前だった。
カーテンを開くと、慌ててコップを棚に置くヒロシがいた。
中身はもちろん水じゃない。
大方せがれが届けたんだろう。
ヒロシがこっちを見てニヤッとする。
自分もニヤッとする。

「よぉ」
「よぉ」

コップ酒に手をつける。
検査など知ったことか。
どうせお互いあと半年、元気でいるしかないんだ。
窓の外には晩秋の柔らかな日差しが見えた。

場合に寄っては、半年じゃすまんな。
もう一度ヒロシのほうを向いて、ニヤッと笑ってやった。

 

(この物語はフィクションです)

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▼広島電鉄(私鉄の車両3)▼

Hiroden2

投稿情報: 22:03 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : 広大付属中学入試まで四ヵ月

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「広大付属中学入試まで四ヵ月」


広島駅から広電に乗り換えてガタゴト十五分あまり。
広大付属学校前で下車する。
なぁにこの停留所、間隔がなくて危ないじゃない。
前を歩くおばさんのヒソヒソ話が聞こえる。
信号が変わるのを待って、トコトコ歩いていく。
校門は、電停からも見える場所にあり、ほとんど目の前だ。
不自然に尖った包丁の先みたいに、住宅が間にある。

母校の校門をくぐる。
遠くから、部活動の声だろうか、キャーとかワーとか幼い声が聞こえてくる。
自分がいた頃と何も変わっていないような気さえする。

「広大付属中学入試説明会はこちら」と墨字で書かれた看板を頼りに古い校舎の脇をぬけて、松の木を横目に見ながら階段を上る。
古い階段と、松の木。
もしかしたら自分がいた頃からあったものかもしれない。

ミヒロがこの学校に入ったのは、今から20年ほど前だ。
もうそんなに経つのか。
「お金がないから私立には行かせられないのよ、ごめんね」と母親に言われ、泣く泣くセーラー服の素敵な中学を諦めてこの中学に入った。
共学は、嫌だった。男の子のいない学校に行きたかったのだ。
今考えれば、こちらの方が難関と言われていた学校だったし、母親の選択肢は正しかったと思う。
ただ、「お金がない」理由は、父さんが競馬と流川に使ったためだ、と知ったのは大学に入ってからだ。
そして母親がそれに文句を言わなかったのは、自分のせいで開いてもらったスナックの経営が傾いていたからだ、ということは最近知った。
全く親ってのはとんでもない、と思いつつ、自分がいざ親になってみると似たようなことになっていて一人苦笑する。
夫に話すと、「しょーがないじゃろ。そんなもんよ」、と言って二本目のビールをせがむ。
「男ってのは、まったくこっちの苦労が分かってない」と同じ小学校の中のいい親友達に話すと、「機嫌が悪くならないだけ、まだマシよ」と言われた。

まぁもっともだ。
これでも一応、パートにも行かず、主婦をやってられるのも、夫のお陰だ。
他の親友達なんか、近くのスーパーでレジ打ってると恥ずかしいから、わざわざ川を二つ隔てた遠いスーパーにレジ打ちに行ってる、と言っていた。
10歳も年上のオバサンからのイジメなんて、私には耐えられないだろう。
夫は競馬と流川の代わりに、車とゴルフにお金を使い、私は株で家計を左前にした。
結局は、同じようなことの繰り返しだ。
時代が、変わっただけ。

10月の晴れやかな日差しが差し込む部屋で、説明会は行われた。
全部で5回あるうちの4回目とあって、司会進行をする若手の先生の調子も手馴れている。
私は窓側の席に座り、ぼんやりと校舎の外を眺めた。
校庭では、部活動だろうか、生徒達がソフトボールをしている。その脇では体育祭に向けて応援の練習をしている学ランハチマキ姿の一群。
この風景は変わらないな、全然。
20年前、ミヒロはやはり窓側の席に座り、ハゲ頭の地理の授業を横目で見ながら、そんな光景を見ていたはずだ。

少し明けられた窓から、やや冷たくなってきた風と、広電がガタゴトと右に左に行ったり来たりしている音が教室に入り込んでいる。
周りを見渡すと、先ほど停留所に文句をつけていたおばさんたちが、ウツラウツラ、必死に睡魔と戦っているのが見えて、思わず噴出しそうになった。
きっとこの二人は、20数年前も同じように睡魔と戦っていたんだろうな。
行っていた中学は違っても、きっとそうだったはずだ。

Hiroden

一通り説明が終わり、質疑応答の時間に入る。
入試まではまだ四ヶ月。受かるかどうかも知れない子供の受験を前に、どこの親も必死だ。
中には、「子供が共学には行きたくないと言っているんですけど、御校ではどういった教育方針で男女共学にされているのでしょうか」、などという質問もあって、笑った。
表情がこわごわとしており、如何にもこんな質問をして申し訳ない、という思いが身体からにじみ出ており、なんとなく場の空気が和んだ。
若手の先生が、「街を歩いていても男性と女性は、両方いますよ。子供だからと言って同じことです。自然な状態で、普通に授業をする。それだけですよ」と答える。
もしかするとうちの親も似たようなことを聞いていたかもしれない。当時、入試説明会なんてものがなくてよかった。
今にして思えば確かに男女どちらかしかいないほうが不自然だ。
この教室にいるほとんどは「お母さん」だが、こんなのが6年間も続いていたら、自分は耐えられなかっただろう。

ヒロヤス君は元気してるかな。
彼は野球部だった。
ナツヒロめ、今会ったらただじゃおかんのんじゃけえ。
ナツヒロはヒロヤスを取った。
取ったといっても、別に私のものだったわけじゃない。
勝手に憧れていただけだ。
こうやって当時も、校庭を眺めて。
今と同じように手を上げることもなく。
卒業してからみんなバラバラだ。
私は一浪して、受験が嫌になって、結婚した。
親は猛反対したが、相手は電力会社副社長の御曹司、と言うと、コロっと態度が変わった。
ゲンキンなもんだ。
今度は相手の親が猛反対。
そうこうしていると、あっという間に子供ができて、めでたく結婚と相成った。

質疑応答が終わり、紙袋を手に、懐かしい木の椅子から腰を上げる。
不意に、「ナカノさん?」と声をかけられた。ナカノは私の旧姓だ。振り返ると初老の小柄な男が立っていた。思わずキョトンとする。
「ナカノさんじゃろ。いやー変わっとらんねぇ。相変わらず大きな目をしてから」
誰だ?このじじぃ。確かに私の目は大きい。そしてかわいい。だがこんなじじぃに古典的なナンパをされるほど年は食ってない。
じじぃが頭をポリポリと掻いたところで、ハっと気がついた。
「あぁ!ハゲチリ!」
思わず大きな声を出してしまった。
教室が静まり返る。お母さん方はもとより、先生方も強ばった表情でこちらに視線を落とし、そして反らす。
ん?私、随分マズイことでもしたのか?

「ハゲ地理とはナカノさんもやっぱり変わっとらんねぇ。昔っから、大人しいのに言うときはいう子じゃったけぇね」
確かにそうだ。決して自分から先生に反抗したり、悪いことをしたりするタイプではなかったけれど、外ばっかり見ていて怒られたときも「ハゲチリの授業がつまらんけぇよ」と言って、教室を凍らせたことがあったっけ。
ふとバッチに目をやると、「校長」と書いてあった。
あちゃー。来年息子を受験させようかと言うのに、その中学の校長に向かって、元先生生徒の関係とは言え、公衆の面前で「ハゲチリ!」だ。さすがに意識が遠のく。
ごめんなさい、ごめんなさい、と数回頭を下げる。
もうお母さん方はほとんど教室にはいなかった。若手の先生方は張り紙を剥がしたり、机を元に戻したり、後片付けに忙しい。
「いやいや。懐かしくて、思わず急にね。すまんかったね」
「いえ、とんでもないです。よく覚えてらして」
「仕草が変わらんかったけぇね。ここにおるってことは息子さん?お嬢さん?あぁもうナカノじゃないんか。はっはっは」
そういってハゲチリはまたポリポリ頭を掻いた。

教室を出て、松の木とその奥の校庭が見渡せる階段の踊り場のようなところで少しだけ立ち話をした。
「変わらない光景ですね」と言うと、「最近の学校は色々大変なんよ」と笑って頭を掻いていた。
なんだかとても懐かしかった。
夕日に照らされ、目を細めながら校庭を眺める。
うちの息子にも、同じ景色を見せてやることができるだろうか。

 

 

(この物語はフィクションです)

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▼広島電鉄(私鉄の車両3)▼

Hiroden2

投稿情報: 16:02 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : 皆実町六丁目で乗り換えて

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「皆実町六丁目で乗り換えて」


あぁ、免停なんて勘弁してくれよ。
そんなおれの叫びも虚しく、90日の長期免停になったのが60日前。
まだあと30日あるんかい。

免停になってからと言うもの、いきなり悲惨な状況はやってきた。
夏だ。暑いのだ。
カズヒロが90日の免停処分をくらったのは、7月に入ってすぐ、七夕の日だった。
あの時スピード違反しなければ、今でも悔やまれるが、まだぬけきっていなかったアルコールを咎められなかっただけ幸運としか言いようがなかった。
免停になってからというもの、カズヒロは市内電車で会社に向かうことになった。
比治山のふもとに住んでいるので、3駅ほど宇品方面に下って、皆実町六丁目電停で乗り換えて、今度は紙屋町経由広島駅行きに乗って袋町まで。
平仮名の「し」の字を無駄に逆から書いたようにぐるっと回って会社にたどり着く。
車なら10分の道のりが、ちょっとした郊外から通っているかのようだ。

しかもだ。
皆実町六丁目の電停は、比治山下経由線と紙屋町経由線とでなぜか離れている。
同じ広島駅と広島港を結ぶ電車で、だ。
ちなみに北側の合流地点である的場町も同じつくりだ。
なぜだ。

8月の暑い中、毎日毎日横断歩道を渡って、一旦歩道に出て、また横断歩道を渡って電停に辿り着く。
そんなことをさせられる方の身にもなってくれ。
両方の駅をほんの少しずつ広島港・宇品側に寄せればいいだけじゃないか。
街をうらむべきなのか、広電をうらむべきなのか、警察をうらむべきなのか、自動車会社をうらむべきなのか、悪いのは自分なのか。
7月の終わりには無駄に3日間の有給休暇を取った。
出勤に耐えられなかったからだ。
妻を誘って北海道にでも行こうかと思ったが、犬の世話は誰がするのか、と言われて断念した。
そして今年ほどお盆休暇をありがたいと思ったことはない。
先祖でも何でも供養しようじゃないか。

この生活も後一ヶ月の辛抱だ。
少しずつ朝晩の気温は下がりつつある。
六丁目のあたりにできた大きなショッピングモールに寄って帰るのも一つの楽しみだ。
妻からは呆れられているが。
朝だけ車で出勤して、帰りは電車ってのもいいのになぁ、なんてふざけたことを考える。

小さい頃はいつも広電に乗っていた。
カズヒロが通っていた中学は家から5つほど先の電停の前にあった。
小学校のときにプール教室に行くときも広電を使っていた。

いつから電車に乗っていなかったかなぁ、と思う。
もっとも、そんな感慨は電車を降りて、太陽に照らされた瞬間に吹っ飛んでいったが。
地球が暑くなっていっているのか、おれが暑さに弱くなっていっているのか。

8月のいつだったか、飲んだ帰りに電車に乗ったときに、有名なサッカー選手が乗っていたのにはびっくりした。
ポルトガルだかどこかで活躍してるんだと、テレビで見たことがある選手だった。
隅っこの方で小さくなっていたから、酔った勢いもあって、「がんばれよ!」と肩をたたいてやった。
彼は寂しそうな顔で苦笑いを浮かべ、会釈をして返してきた。

Hiroden
皆実町六丁目の交差点は、どこかしら昔の栄華を忍ばせているところがある。
人の住む場所の変化、道路の変化、かつて広島市の南端として栄えたその場所は、やがて宇品に至る重要な交差点になり、ただの通り道になり、人の歩かない場所になり、車の数も減った。
妻が言うには、最近、またその先の道路ができたり、ショッピングモールができたりで、ちょっとずつ人が増えてるんだそうだ。
もしかしたら電停が離れているのは、人をあえて歩かせるためなのかもしれないな。
そういえば的場町も同じような雰囲気を感じさせる場所だ。
人が歩いていることで、なんとなく栄えてる様な雰囲気を感じさせるために。
まさかね。

今日もまた、皆実町六丁目で電車を降りて、横断歩道を渡る。
今夜は直接帰らない。ショッピングセンターに寄るのだ。ケーキを買うのだ。
実は広電通勤の副産物は意外なところからやってきた。
昼にもらった健康診断の結果が、軒並み「笑顔マーク」になっていたのだ。
こんな結果は10年ぶりぐらいだった。
乗り換えのときに歩くと言ってもたかだか100メートルくらいだ。
しかも健康診断があったのは8月の初め。
電車通勤になってから、むしろ飲みに行く回数は増えていたはずだ。
自分でもびっくりの好結果だった。

そんな自分へのご褒美に、今日はケーキを買って帰ることにしたのだ。
スーパーでケーキを選び、「これを」というと、「プレゼント用ですか?名前とか入れますか?」と言われた。

もっともだ。
こんなオッサンが、自分へのご褒美にケーキです!なんて妻じゃなくても呆れかえる。

しかもだ。
ご褒美といっても何かしたわけじゃない。
免停くらって泣く泣く電車通勤してたら、少し不健康体質が改善されただけだ。
はっはっは、文句があるなら警察に言ってくれよ。
そう思いながら、恥ずかしいのでプレゼント用にしてもらった。
妻がうるさくてね、なんて言いながら。

比治山下経由路線側の皆実町六丁目電停に小走りで向かう。
電車が宇品側から顔をのぞかせている。
息を切らしながら、かわりそうな信号を渡って電停に向かおうとする。
巡回中の警察も脇から不意に顔をのぞかせる。

「ちょっと!おとーさん、危ないよ!信号がかわりよるんじゃけぇ、渡っちゃダメじゃろーが!」
チャリンコに乗った警察の呼びとめを無視して電停に駆け込んだ。
うるせー!お前らのせいでこーなっとんじゃい!
息を切らした笑顔で、そう言い返してやった。心の中で。

 

(この物語はフィクションです)

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Hiroden2

投稿情報: 22:32 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : お隣さんはどんな人?

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「お隣さんはどんな人?」


「ヒロちゃん、皆実町二丁目ってどこよ?」
広島市内に20年以上住んでるこいつでさえ、そんなこと聞くんだもんなぁ。

「最近御幸橋のあたりにでっけぇスーパー出来たの知ってる?その端っこのあたりよ」
巨大ショッピングセンターが出来てから説明が少しだけ楽になった。

皆実町二丁目に住みだしてから3年。
結構便利なところだと思ってた。
広電で駅まで一本だし、少し歩けば隣は皆実町六丁目。
そこからなら本通、紙屋町も一本だ。
バスもちょこちょこ通ってる。

学生時代、自分に家は大学の傍にあって、ひっきりなしに誰かが入り浸ってた。
社会人になるときに、さすがにこれじゃあなぁ、と思い、少しだけ離れたところにアパートを借りることにした。
地図をパラパラめくって、色んなところに行ってみた。
川にかかる橋をチャリンコで何回も渡った。
でもってたどり着いたのが皆実町二丁目。
六丁目にあった不動産屋のオッサンに進められて見に行ったときに一目で気に入ってここにした。
アパートが気に入ったわけじゃない。
長い髪をした同い年くらいの女の子がアパートの前からチャリンコに乗ったのが見えたからだ。
その子は細くて美人で、あまりのかわいさに、ハゲたピカピカのオッサンの頭がくすんだ石に見えたほどだ。

即決でこのおんぼろアパートに入ってから3年。
その子に会ったのは最初の一ヶ月に3回だけ。
会ったと言っても、見かけただけだけど。
ちなみに来客は3人。
親父と、おかんと、ねーちゃん。

Hiroden

その子に会えなくなってからしばらくは、生活のリズムが違うだけだろうと思ってた。
おれはそのとき8時に家を出て、帰るのは広電の最終電車、なんて生活をしてたから。
新入社員歓迎会みたいなのに毎日顔を出し、ふらふらと自転車で帰ってくる生活。
そりゃあわないよなぁ、なんて思ってた。
でも8時くらいには帰るようになってからも、まったく見なくなってしまった。

引っ越したのか?
月並みなオチだなぁ。

そうこうしているうちに、アパートの近くには巨大ショッピングセンターが出来て、
家の前の路地も人通りが増えた。
おれはその子を勝手に「お隣さん」なんて呼んでたけれど、今じゃあ人通りが増えて、誰がこの辺に住んでる人で、誰がスーパーに買い物に来ただけの人か、それすらわからなくなっちまった。
おれの部屋は端っこで、本当の「お隣さん」は老人夫婦みたいだ。
おれが唯一名前も知ってる「お隣さん」だ。

「そろそろ引っ越すかなぁ・・・」

そんな言葉がつい口をついで出てくる。
それを聞いた隣の席の同僚とした会話が、冒頭の会話。
「便利じゃーん!」とそいつは言っていたが、三人の子供を育てる笑顔の素敵なパパじゃあるましい、巨大スーパーに用事なんてない。
むしろ六丁目のパチ屋がつぶれないように願うのみだ。

「お隣さん」の話を知ってる友人に引越しの相談をすると、決まって言われる。
「お前は夢の見すぎなんだよ。次も美人がいるなんて虫のいい話があるか?そもそもいたからってどうなるってんだ?ジロジロ見てたら捕まるぞ?」

おっしゃる通りです。
桜吹雪もびっくりの正論だよ。
でも期待しちゃうんだもん、仕方ねーじゃん。

窓の外では広電がガタゴト走っている音がする。
その子も乗ってたんだろうなぁ。
この電車は誰かを連れてきてくれる電車かね?
それとも誰かをどっかに連れて行ってしまう電車かね?
皆実町二丁目なんて半端な電停になんの御用?

外はうだるような暑さ。
日が暮れるまでとても外に出る気なんて起きない。
暇なのでパソコンを立ちあげてネットする。
自分の部屋以上にありふれた光景が画面の中広がる。
そこには「お隣さん」なんていない。
あるのは何枚ものページだけ。
ページの先には線でつながった誰かがいるけど、その間に電車は走ってない。

ブログ紹介サイトを流し読みする。
ふと、『皆実町の思い出』という日記を見つけた。
ページを開く。
写真とかは、どうやらない。
そこには皆実町に住んでいた頃の思い出が書かれていた。
2年間ほど3年前まで。

「お隣さんだ・・・」
なぜかおれはそう思った。

 

(この物語はフィクションです)

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▼広島電鉄(私鉄の車両3)▼

Hiroden2

投稿情報: 20:22 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : 南区役所訪問

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「南区役所訪問」

今日はヒロスギにとって2回目の社会科見学の日だ。
今回は南区役所訪問。
3年1組という大きなパネルを先生が掲げる。
「そろそろ南区役所前です。皆さん降りる準備をしてくださいね」
広電の中ででかい声だすなよ。恥ずかしいだろ。
母親と同じくらいの年の先生を睨むが、向こうは気になどしていない。
電車が、チン、と頼りない汽笛を一度鳴らして減速する。

ヒロスギの家は南区役所の裏側にある。
そこから一旦学校に行き、学校から広電で3駅ほど戻って、再び南区役所前に戻ってきた。
まるで意味不明だが、社会科見学なんてそんなもんだ。
3年生にもなれば大人のルールってやつがある程度わかるってもんだ。

先生が全員分の運賃をまとめて払う。
ある生徒はキャーとか、ワーとか言いながら電車を降りる。
電停から外に出ないように、つまり車道にはみ出さないように先生が必死に生徒をなだめる。
ガキどもめ。大人しくしてろよ。
そう思いながらヒロスギは最後の方で電車を降りる。
電車を降りるときは、運転手さんに「ありがとうございました」。
大声でなんて言わない。
うつむき加減に。
それが大人ってもんだ。

あぁくそ暑い。
7月だぞ。夏休みは目の前だぞ。
何もこんな時に区役所なんて行かなくても、別のときに行けよ。
わかってんのかわかってないのか、パネルを掲げて先生が横断歩道を渡っていく。
「信号が変わらないうちに、あ、走らないの!」
走られたくなかったら、こんな時期に区役所なんて訪問するなよ。
小声で悪態をついていると、ナツミが話しかけてきた。
「区役所なんて行ってどうするんかね?別に区役所職員にあこがれてる人なんておらんじゃろ」
「さぁ他に行くところがなかったんじゃね?」
めんどくさそうに応えるのが、大人の男だ。

とは言ってみたものの、区役所って何するところだ?
そういえば、行ったことがない。
痩せこけた30代くらいの男か、妙に歩くのが早いオバサンがいっぱい出勤しているのは知っている。
ちょうど家から出て、小学校に行くのと逆のルートでみんなが出勤してくるからだ。
彼らがこの薄汚れた面白みのない建物で一体何をしているのか、興味はないが知りもしなかった。

「それにしても暑いな」
「ねー。あたし暑いのダメなんだよね」
名前に似合わず夏が苦手なナツミがスカートをパタパタさせる。
そんなときは目をそらしてやるのが、ルールだろ。
反対側を見ると、国道2号線をひっきりなしにトラックが駆け抜けていく。
このくそ暑い中、どこから来て、どこに向かっていくんだろうか。
お前には夏休みがあっていいなぁ、とこの前親父が言っていた。
なんで大人には夏休みがないのだろう。
あのアホな先生にも夏休みはないのかな。
広電の運転手は?

南区役所に行くと、ひょろ長いキュウリの上にナスがついたようなオッサンが出迎えに来た。
「はい、みんなで挨拶をしましょうねー」
「こんにちわぁ!」
アホくさ。
ワンテンポ遅れて、超小声で「コンニチワ」。

Hiroden

案の定、区役所はまったく面白くないところだった。
仕事内容の説明を受けたが、なんだったかまったく覚えていない。
「こうして地域住民の皆さんを助けるのが」
「皆さんのためにぼくたちはこんなことを」
そんなことを20回は聞いたが、何が自分のためになっているのか、さっぱりわからん。
区民プールの管理?
そんなことやってる暇があったら、この会議室のクーラーを強くしてくれ。
こんな部屋にガキが30人も集まったら暑いに決まってるだろ。
大人なんだからそれくらい分かれよ。

感謝だかなんだかの挨拶をして区役所を出る。
これから帰りは歩いて学校まで戻って、大きな紙に何かをまとめるらしい。
最悪のチーム別けにウンザリしながら、午後の暑い太陽の下を歩く。
暑い暑い、と一人の生徒が言うと、「夏は暑いもんですよ。子供は暑くても・・」と、聞きたくもない返しを元気いっぱいの笑顔でする先生。
横ではナツミが「お腹痛くなろっかなぁー」。
どっちが大人か分からん。

家の前を素通りして再び学校に向かう。
比治山を右手に見ながら、ふと、通り過ぎる広電に目をやる。
ここに来るときにぼくたちを乗せてきた運転手が、乗ってきた方向とは逆方向に向かって行くところだった。
こいつはくそ暑いでも毎日行ったり来たりしてるんだろうなぁ。
大人になったら何が楽しいんかね?
そんな質問しないのが大人のルールだ。

最近、比治山に来る人が増えたんだそうだ。
雑誌で紹介されてから、よーけ人が行きよるみたいよ、とおかんが言っていた。
暇そうなカップルが比治山への坂道を登り始める。
よーやるわ。てかお前ら仕事は?

身体からひっきりなしに汗が吹き出てくる。
学校まであと少し。
夏休みまでもあと少し。
車を止めて、外に出て汗を拭きながらタバコを吸っているスーツ姿の人。
広電の電停で、大きなカバンを抱えて信号を待つオジサン。
列の先頭で、暑苦しい笑顔を振りまく先生。
行ったり来たりの広電。
悪態をつきながらクラクションを鳴らすタクシーの運転手。
今頃昼食にありついただろう区役所のキュウリナス。
今日もスーツを着て出かけていったうちの親父。
暇そうなカップル。
すれ違ったオバサン。
全ての大人に言ってやりたい。
8月は夏休み。それが子供のルールだ。いいだろぅ。

ひとりごちてニヤついてるのをナツミに見られた。
思わずハッっとした顔をしたら、片目を閉じて返してきやがった。
大人だなぁ。

 

(この物語はフィクションです)

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Hiroden2

投稿情報: 21:22 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : 交響曲『比治山橋』

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「交響曲『比治山橋』」

比治山橋の電停で降りて、家とは反対方向、橋を渡ってその先のパン屋に行く。
市内でも有名なパン屋だそうだが、生まれてから30年数年、ずっとここのパンを食べてきたので、特別美味しいとは思わない。
もっとも、30数年食べてもまだ買いに行っている、ということはやっぱり美味しいのだろうか。

広島は来週梅雨入りするそうだ。
気分がゲンナリするね。
ナツヒロ勤め先は同じ広電皆実線沿線なので、ものすごく大変になる、というわけではない。
ただただ、気分が滅入るのだ。
そういえば小学校のときに「梅雨時期は元気がないです」って通信簿に書かれたっけか。
両親は情けない、などと言っていたが、おじちゃんだけは感性のするどいいい子じゃ、なんて言ってたっけか。
ま、そのおじちゃんは競馬が趣味の堕落者だそうですが。

お気に入りのパンを4つほどプレートにのせる。
中にアンコの入った揚げパン、中にクリームが入っていてチョコチップのかかったメロンパン、オーソドックスな蒸しパン、そしてミルクフランス。
今日の夕食と、明日の朝食分だ。
まてまて、甘いのばっかりじゃないか。
朝食はともかく、夕食分がない。
いや、まてよ、今日は実家に行くって言ったっけ。
実家は今のアパートから徒歩3分の場所なのだ。

結局、一旦取ったパンを戻すのも気が引けたので、タイムセールになっていたコロッケサンドを追加することにした。
から揚げも気になったが、それはグッとこらえた。
パート先のユニフォームが、ちょっとキツくなってきているのだ。
去年の11月に変えてもらったばっかりで、さすがに半年あまりでまたお願いするのは気が引ける。
別にそんなに太っているわけではないが、さすがに20代も後半になると食べただけ、身についていく。
人間がひねくれていくのに反比例して、身体はカロリーに正直になっていくものだ。

一度渡ってきた橋をまた戻る。
日が長くなったなぁ。7時なのにまだ明るいよ。
橋を渡り終え、専門学校の前を横切るところで、ふと、ポスターに目がいった。
それはコンサートの宣伝ポスターだった。
見たところ音楽系の専門学校ではない。
普通なら通り過ぎるところだろうが、曲目に興味をそそられた。

「交響曲『比治山橋』」

そうか。さっき渡った橋、そういえば比治山橋か。それでここにポスターが。
しかし、なんで?
曲を作った人も、なんでまた「比治山橋」なんて名前をつけたん?
音楽のことはさほど詳しくないけど、交響曲ってのは確か色んな曲についてたような気がする。
交響曲、という響きからは、なんとなく、モーツアルトとか、ベートーベンとか、そんなのが浮かんでくる。
一方、比治山橋、という響きからは、ママチャリを必死にこぐおばちゃんか坊主頭の中学生くらいしか浮かんでこない。
比治山ならともかく、橋までつけて、曲を作った人が比治山橋に思い入れでもあったのだろうか。
ふと振り返って、夕暮れにたたずむ橋を見る。
こうしてみると正面の西日を受けて橋が少しいつもとは違って見える。
でもいく並んでも、モーツアルト、ベートーベン、比治山橋、ってのはないんじゃない?

Hiroden

一応、日付を見てみると、6月14日と書いてあった。
来週の、土曜日か。場所は市内のコンサートホールね。
まぁ暇だったら行ってやりましょ。どうせ大した予定もないんだ。

なんとなく、アパートには行かず、実家に寄ることにした。
父親はまだ仕事から帰っていない。
台所で食事の支度をしている母親に「ただいまー」と言う。
鍋のフタを右手に持ったまま母親が振り返って、「あれ?あんた今日は来るんじゃったん?」と返してきた。
やはり今日は来ない日であったか、まぁいいや。
ご飯食べて帰れば、という母親の申し出を丁重に断り、尋ねてみる。
「比治山橋協奏曲って知っとる?」
すでに間違った曲名を母親がストレートに否定して答える。
「比治山橋交響曲じゃろ?それならこの前聴きにきて下さい、ゆーてパンフレットもって学生さんが来ちゃったよ」
小麦粉で白くなったパンフレットを見ると、「交響曲『比治山橋』」と書いてあった。
どうせ違いは二人ともわかっていない。

「なんで比治山橋って名前なん?」
「知らんよ。この辺の人が演奏するんじゃないんね」
ん、演奏する人の名前がつくのか?
パンフレットの小麦粉をパタパタ落とすと、エリザベト音大第二管弦楽団と書いてある。
違うじゃないか。
こいつに聞いてもダメだ。

「お父さんに会ってから帰りんさいや」
そういう母親の申し出を、今度はぞんざいに断って玄関を出る。
ようやくあたりは暗くなっていた。

なんで比治山橋なんじゃろ。

 

(この物語はフィクションです)

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Hiroden2

投稿情報: 19:51 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : 遠い遠い比治山へ

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「遠い遠い比治山へ」

「週末は比治山に行こう」

単純すぎるな。

「心躍る芸術の山」
「市内からこんなに近い比治山」
「比治山で自然探索」

・・・作ってはボツだな。

ヒロミチは広告代理店に勤めだして、丸3年。
製作を請け負っているタウン誌で、初めてカバーページの企画を任されてから1週間。
3日目に企画を4つほど書いて持っていったら、まずテーマが決まらんことにはなあ。と言われてすごすご引き下がってきた。

だからって、何で6月号で比治山なんだ?
せめて桜の咲く季節なら、チーフにそうこぼしたら、そしたら単純な企画しかでてこないだろ?ほら、「花見なら比治山」みたいな、さ。
と一蹴された。
もっともだ。
うちのタウン誌企画は斬新さがウリだ。
うちのような、地方の二流代理店がどうにかカバーページの企画をもらい続けているのは、そういった斬新さが一部の読者にウケているからだ。

「桜が散ってもやっぱり比治山」

ダメだな。これも。
カバーページの企画はそうそう簡単に任されるものではない。
中途で入社したベテランの社員でも2-3年は補佐だ。
新入社員が任されること自体、ヒロミチはまだ見たことがない。
会社が設立されてから20年。
これまではずっと創業者グループが主体になって企画を進めてきた。
地方タウン誌とはいえ、広島市100万人を対象にした本のカバーページならなおさら、彼らが取り仕切ってきた。
毎年5人前後の新入社員をとってきたとはいえ、彼らの仕事のほとんどは営業だ。
企画したり書き物をしているのは、創業者グループか、中途で入った4人の社員達だった。
会社の風向きが変わったのは半年前。
50人あまりしかいない会社のメンバーのうち、5人が辞めて会社を新しく作った。
その中には創業者グループの一人も入っていた。
営業だけじゃなく、企画モノも少しはやらせていかないと、そんな声がチラホラ聞こえてきた。
そうして新卒で入った5年目くらいまでの社員の中では比較的優秀な成績をおさめていたヒロミチに白羽の矢が立った。

正直、うれしいとか、そういう感情はあまりなかった。
他の人が選ばれていたら多少自尊心を傷つけられていたのかもしれないが、悔しいというほどのものでもなかったと思う。
ヒロミチはそれほど仕事に情熱を傾けてやるタイプではなかった。
なんでも器用に、それなりにこなしてきた結果が、今のポジションだ。

それにしても弱った。

これまでも企画を作ったことがないわけじゃない。
営業ばかりをやっていたころも、チーフと相談してはちょこちょこ企画を小出しにして営業提案をやっていた。
大きな違いは、営業提案では企画を何個も出していいのに対して、こちらは営業が終わった後なので、企画を一つに絞らないといけない点だ。
敢えてなのかなんなのか、チーフも今回はあまりアドバイスをくれない。
良く考えてみたら、チーフですら、2回しかカバーページの経験はない。
してくれないんじゃなくて、できねーんじゃねーの?そんなことを思いながら鉛筆の後ろで頭を掻く。

さすがに明日には企画を出さないと、やばい。
そう思うとプレッシャーでますますアイデアが浮かんでこない。
こんなこと、これまでなかったのに・・・

Hiroden

改めて調べてみてわかったのだが、比治山はとても中途半端だ。
美術館があるとは言っても、市内中心部にも2つ大きな美術館はある。
展示の中身がちょっと違うからといって、そんなに興味をそそられるものじゃない。
自然があるといっても、平和公園に毛が生えた程度。
景色に至っては、記憶にすらない。
そういえば、比治山なんてもう5年も行ってない。
ヒロミチは市内で育って、市内の学校に行って、市内で就職をした。
それでも比治山ほど馴染みがない場所はないかもしれない。
なんてったって、不便なのだ。
自転車であがって行くも、結構大変だし、自家用車でもないと、比治山へのルートは、バスか、広電の比治山下電停で降りてトコトコ歩いていくしかない。
その広電も市内中心部とはつながっていない皆実線、通称比治山線の電停だ。

うーん。

悩んでいても仕方ないので行ってみることにした。
3日前に営業車で一度行ったが、今度は広電で行くことにした。
広電で比治山なんて、初めてだ。
ヒロミチの会社がある紙屋町からは、ぐるっと的場町経由で皆実線に乗り換えるしかない。結構な移動だ。
しかも、外は早くも梅雨がきたかのような雨。5月とは思えない蒸し暑さだ。
外出届を出し、メモ帳と傘だけを持って外に出る。
早くも比治山が遥か先の場所のように思えた。
広電に乗る。
ガタンゴトン。
揺れる電車に身を任せる。

案外、市内に住んでない人の方が比治山とか行ったりするのかもな。

的場町で乗り換えてさらに15分ほど揺られて、ようやく比治山下電停に着く。
案の定、何もない電停前の風景。
申し訳なさそうに比治山への上り口が顔を見せている。
小降りになってきた雨が霧雨のように傘の下から入り込んでくる。
あーもう、なんなんじゃ
この際、そんな企画にしてやろうか、そう思いながら比治山をあがる。

一応、美術館と図書館の入り口まで行ってみる。
入る気は、さらさら起こらない。
桜の季節や夏休みならともかく、5月の雨降る蒸し暑い日の午後にわざわざ比治山で芸術を愉しむだけの余裕なんて、25歳独身男にあるわけがない。

あ、そういえば明日の合コンの予定どうしよ。
今日中に企画ができんと、、、、うーん。

気がついたら雨がほとんどやんでいたので傘を閉じる。
目の前にはぼんやりと薄暗い広島市内の景色が見える。
悪くない景色だ。でもいまさら「市内を一望できる比治山」なんて当たり前の企画が売れるほどこの業界は甘くない。
広島市が、とても遠い街に感じられた。

ふと、思う。

比治山って、広島市中心部にあるようで、ないんじゃないか。
市内の人だってほとんど訪れることはないだろう。
そこから見える市内の景色は、まるで遠い街の写真でも見てるかのようだ。
空だけが、動いて見える。

そうか、遠い遠い比治山に上って広島市街を外から眺めてみよう、か。

「遠い遠い比治山へ」

悪くない。
ボツになるかもしれない。合コンも行けないかもしれない。
でも、悪くない。

メモ帳に走り書きをする。
本が売れて、比治山にいっぱい人がやってきて、ここも市内みたいになったら、イヤだな。
なんてにやけながら、ヒロミチは会社への帰路に着いた。
そうか、また、比治山下電停からの長い旅か。。。


(この物語はフィクションです)

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Hiroden2

投稿情報: 15:38 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : 段原一丁目ワンルーム

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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・
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■広電路線図■

Rosenzu

 

広電物語 : 「段原一丁目ワンルーム」


広島駅から徒歩十分のワンルームマンション。
広電段原一丁目からなら徒歩1分。
快適なシティーライフをお約束します。
おいおい、これをシティーライフとは言わんじゃろ。
段原一丁目の広電電停を越えてから、マンションまでの100メートル、ヒロミはいつも口を尖らせてつぶやく。

瀬戸内海にぽつんと浮かぶ小さな島から出てきて1ヶ月。
今日は何だか面白いことがおきそうだ。
この電停を降りてからそう思ったことなんて一度もない。

裏にはもう比治山がばばんとそびえ立ち、夜には街も薄暗くなる。
確かに広島駅からは3駅。
歩けばがんばって10分でつかないこともない。
段原地区の整備に伴い、少しだけ道路が綺麗になったそうだが、なんとなーく街は薄暗く、シティーライフとは程遠い雰囲気を醸している。
まず電停からして何だかパッとしない。

それでもヒロミが通う音楽大学からは自転車で10分ほど。
立地としては、まぁいい方なのだろう。

一階のエントランスの脇を抜けて自転車を止める。
手にはコンビニで買ったのり弁当。
揚げ物たっぷりだが、今日は金曜日だから、自分にご褒美だ。

4月から入学した音楽大学にはなかなか馴染めない。
生徒はやはり市内の娘が多く、自分のように小さな島からひょっこり出てきたような娘は、たぶんいないと思う。
自分の広島弁は、周りのそれより、ちょっとキツイのが自分でもわかる。

うち、とか最近の街っ娘はあんまり言わんのんじゃねぇ。

それでも自分がワンルームの暮らしにあっさり溶け込めたのは意外だった。
島では何人で住んでるの?ってほどのサイズの家に両親と、おばあちゃんと、弟と、5人で暮らしていた。
それが急に実家の一部屋サイズもないような家に引っ越してきたのだ。そして家には自分一人。
周りには友達も知り合いもほとんどいない。
最初は大丈夫だろうか、と思った。

案外、大丈夫。

Hiroden

市内にはちょくちょく出ていたこともあったが、やっぱり住んでみると全然違った。
宇品に船で来ていた頃には、交通手段は広電か、自分の足だった。
段原一丁目なんて、通ることもなかった。
自転車を持って、休みの日には市内に出てみる。
そこには自分の知らなかった風景がいっぱいあった。
中でも川沿いの風景は新鮮だった。
島には大きな川なんてなかった。
市内に出ても、川に目を落とすことなんて、なかった。
京橋川なんて、名前も知らなかった。
今は京橋川を渡らない日はない。

家族はみんなどうしてるかな、とふと思う夜がある。
歓迎会で飲んだ帰り、数少ない島時代の友人と会った帰り道、そんな時に。
父親は島をほとんど出たことがない。
島の小学校を出て、中学校を出て、高校には行かずに働いてきた。
ちょくちょく市内に飲みには行っていたようだが、暮らしたことはほとんどないそうだ。
市内には、美味しいお店もある、楽しい場所もある、おしゃれな飲み屋もある。
段原一丁目のような電停ですら、降りたらコンビニが目の前にある。
島には、そのどれもなかった。

スピーカーの電源を入れ、iPodを差し込む。
こっちに引っ越してくるときに買ってもらったものだ。
音楽大学なんじゃけぇ、これくらいいるじゃろ。と訳のわからないことをいって買ってもらった。
買ってくれた親は、そのどれも持っていない。
未だにおんぼろカーステレオのラジオが唯一の音源だ。
弟は自分が持っていたCDプレーヤーを使っている。

島では、全てが一つの流れの中でつながっていた。
朝起きる、顔を洗う、トーストをかじる、家の玄関をガラガラっと開ける、学校に行く、途中で商店のおばちゃんに挨拶をする、ハゲ教頭がバスから降りるのを見る・・・・
全部が一連の流れのようだった。
こっちに出てきてからは全てがぶつ切り。
ワンルームの中と、橋の上と、学校の中。
のり弁当を電子レンジで温める自分と、向かい風の中自転車をこぐ自分と、バイオリンを握る自分。
テレビの中のおじさんと、コンビニのちょっとかっこいいおにーちゃんと、神経質な先生。
不思議なもので、すぐに慣れた。

明日は広電に乗って、横川、というところまで行ってみることにした。
まだ、行ったことのない街だ。
学校で、知らんのんよ、と同じコースの娘に言うと、じゃあ一緒に行こう、と誘ってくれた。
ちょっぴり、楽しみだ。

夜はまたこのワンルーム。
既に見慣れた、段原一丁目ワンルーム。
明日は何だか面白いことがおきそうだ。

 

(この物語はフィクションです)

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投稿情報: 21:50 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : モトノモクアミ

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広電物語 : 「モトノモクアミ」


次は~まとばちょ~まとばちょ~

おぉ、ファンファーレが鳴った。
広島駅から市内電車に乗って、3駅。
それもぐるっと遠回りをしてだから、歩けばなんのことはない、ものの5分あまり。
それでもモトヒロはいつも市内電車に乗って、そこに通った。
帰りは歩いても、行くときは、広電。

場外馬券場、ウィンズ広島ができて以来、モトヒロは毎週欠かさず、週末はここに来ている。
まさに雨にも負けず、風にも負けず、的場町の電停で降りて、この道を通ってきた。
ウィンズ広島は広電的場町電停からものの3分。
その間の道のりは、今年で60になろうかと言うモトヒロを、時にやさしく、時に恐ろしく、ちょっとした(幸運な)驚きと共に迎えてくれる。

待てよ、電停から3分ってことは、広島駅から歩いてもそんなに変わらんじゃないか。
10年越しの気づきを得ようとしたそのとき。

おぉ、モっちゃん。

見慣れた親父が声をかけてくる。
張った声でもない、投げ捨てたような声でもない。
コンビニに行って、いらっしゃいませ~、と言われているのと同じ感じ。

モトヒロの本日の勝負レースは第5レースの新馬戦。
つまりは、全馬本日が初出走だ。
普通、そんなレースに大金をつぎ込むアホはいない。
だって、どんなウンチクを並べても、如何せん走ったことがないのだから、勝負は下駄を履いてみなければ分からない。
それでもモトヒロにはこのレースで勝負する理由があった。

2枠3番、ヒロノカイウン

母馬は、ヒロノオジョウ。
モトヒロが大好きだった馬だ。
綺麗な栗毛で、くるんとした目が特徴だった。
確か20戦くらいして勝ったのは2回。
自分でもなんで好きだったのか分からない。
でも、今朝、駅で買った競馬新聞を眺めているうちに、その名前を母馬欄に見つけたときは、数年ぶりに心躍った。
60にもなると心躍ることなんてなかなかないわな。

まとばちょ~まとばちょ~、のファンファーレを聴いても、さすがに心躍るとまではいかない。
むしろ、身が引き締まる、という感じの表現がしっくりくる。
今日は、踊った心を包む痩せこけた身が一段と引き締まった。

レースまではあと1時間以上ある。
腕試しとばかりにその前の4レースを買った。

6枠12番、モトノモクアミ

名前は何だかパッとしないが、馬体はよく見えた。

ん、待てよ。

モトノモクアミってどういう字だっけ?

ん、待てよ。

むしろ、どういう意味だ??

思い出せそうで思い出せない。
気になって仕方がない。
モトヒロは良くも悪くも直感を信じて生きている人間である。
馬券を買うときも、その馬の成績や状態ももちろん重視するが、それ以上に自分の「感覚」のようなものを信じているフシがあった。
逆に言うと、己の「感覚」が気になったら最後、すっきりするまで他のことが手につかない。

Hiroden

モトヒロはとりあえずウロウロ館内を歩き回ってみた。
もちろん携帯電話を取り出して「モトノモクアミ」と打てば漢字くらいはわかる。
辞書機能を使えば意味だって分かるだろう。
でもそれを60歳・趣味競馬のモトヒロに求めるのは酷だ。
ウロウロ、ウロウロ。

うーん、思い出せない。

第4レースのファンファーレが鳴る。
気の入ってない表情でモニターを横目で見ながら、ウロウロ、ウロウロ。

出走場が砂煙を巻き上げながら、ダートコースを走っていく。
モトノモクアミもいい位置だ。
直線に入って、外から先頭を捉えようとしている。
それでもモトヒロはまったく興奮しなかった。それどころじゃないのだ。
ゴール寸前、先頭を行く馬に、周りとは別の意味でモトヒロは声をあげた。

モトノモクアミ!!

叫んだら思い出せるかと思ったが、ダメだった。
モトノモクアミは見事1着。
腕試しとしては最高の結果だが・・・


夕暮れの猿侯川を横切って、広島駅に向かう。的場町とは反対側のルートだ。
川沿いも、ようやく春のたたずまいを見せてきた。
もう今年も3月だ。

第5レースは結局、人気薄だったヒロノカイウンが2着に入り、高配当での決着になった。
モトヒロはというと、モトノモクアミが買って儲かったお金を全てヒロノカイウンにつぎ込んだもの、1着馬が買っていない馬だったので、全て馬券は外れた。
その後も出たり入ったり。
猿侯川のたゆまぬ流れを横目で見ながら駅に向かう。
右前方には、再び広電の広島駅。

う~ん、結局モトノモクアミじゃないか。

あ。

 

(この物語はフィクションです)

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▼「モトノモクアミ」が気になるあなたに▼

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Hiroden2

投稿情報: 17:23 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広電物語 : 嗚呼たそがれの猿侯橋

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広電物語 : 「嗚呼たそがれの猿侯橋」

「嗚呼たそがれの猿侯橋」
俺が作詞家ならそんな詩を作るな。
そう思いながらヒロタは今日も、広電猿侯橋駅を左手に見ながら、橋を超えて最初の路地、いわゆる荒神三叉路から伸びる路地をを右手に入る。
あの電停でいつ来るか分からない電車を待つんだ。
2月の冷たい雨にたそがれながらね。

そんなことを思いながら、もう30年が経った。
作詞家になんてなってないヒロタは未だに果物屋のオーナーだ。
オーナーといっても別に店長が別にいるわけじゃない。
今日も変わらず店先に立つ。
どうせこの時期に果物なんてヤツはおらんのよ。

全館が暖房で常夏のように温められた巨大スーパーならいざ知らず、遠猿川沿いに一軒だけ佇む果物屋に、雪でも降ろうかと言う寒さの中、わざわざ果物を買いにくるような奇特な人間なんてほとんどいない。

普通に広島市内の高校を出て、経済大学へ。
大学を出て5年間サラリーマンをやって、その間に結婚をした。
その後、親父から店をついで、以降はずっと「果物屋さん」だ。
その間に大きなスーパーが出来たりつぶれたり。
店の前の景色も結構変わった。
猿侯橋の周りも整備された。
子供も2人出来た。男の子と、男の子。

そして、今年。
えらいことになった。

果物屋の裏手から歩いて5分の場所に新球場ができちまった。
そんなもんできたって、こんなこまい店、なんもかわらんよ。

そんな悠長なことを言っていたのも年が明ける前までだった。
いざ、球場が完成に近づくにつれ、どうやら街の様子が変わってきた。
ざわざわ、ざわざわ、と落ち着かない感じ。

「嗚呼たそがれの猿侯橋」

なんてのん気な風景は、もうすぐなくなってしまうかもしれない。
3軒先の饅頭屋は早速新商品を作っていた。
裏手には新しいコンビニが出来た。
新球場関係者が交通状況について説明に来た。
猿侯橋駅は新球場への最寄の駅だ。

Hiroden

おいおい。

この街はどうなるんじゃ?

ヒロタはどちらかと言うと新球場建設をずっと冷めた目で見ていた。
なんも変わらんよ。
あんなところに作ってどうするんじゃ。

カープの試合なんて10年くらい見に行っていない。
息子達が自分を置いて2人で見に行ける年になったくらいから。
果物売らんといけんけぇの。
そんな言い訳をしながら誰も来ない店先に立ち続けた。
いや、椅子に座っていただけだったが。

人ごみを逃げていた。
活気から目を背けてきた。
街の元気を、変化を横目で見てきた。
変わらない猿侯橋に自分を重ねていた。
でもその猿侯橋が、変わろうとしている。

4月、プロ野球開幕。

新球場に人が入る。
今とは比べ物にならないくらい、街は変わるだろう。
猿侯橋もこれまでの1ヶ月分くらいの人を1日で運ぶかもしれない。
広電に乗って、猿侯橋駅で、人が続々、続々。

せっかくこんな近くに住んでるんだ。
開幕したら、野球に行くか。
小さい方の息子に声をかける。

いや、彼女と行くけぇ。

ヒロタは苦笑いを浮かべながら、嫁の方に向かっていった。

 

(この物語はフィクションです)

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Hiroden2

投稿情報: 17:54 カテゴリー: 広島の作り話 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

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