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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「皆実町六丁目で乗り換えて」
あぁ、免停なんて勘弁してくれよ。
そんなおれの叫びも虚しく、90日の長期免停になったのが60日前。
まだあと30日あるんかい。
免停になってからと言うもの、いきなり悲惨な状況はやってきた。
夏だ。暑いのだ。
カズヒロが90日の免停処分をくらったのは、7月に入ってすぐ、七夕の日だった。
あの時スピード違反しなければ、今でも悔やまれるが、まだぬけきっていなかったアルコールを咎められなかっただけ幸運としか言いようがなかった。
免停になってからというもの、カズヒロは市内電車で会社に向かうことになった。
比治山のふもとに住んでいるので、3駅ほど宇品方面に下って、皆実町六丁目電停で乗り換えて、今度は紙屋町経由広島駅行きに乗って袋町まで。
平仮名の「し」の字を無駄に逆から書いたようにぐるっと回って会社にたどり着く。
車なら10分の道のりが、ちょっとした郊外から通っているかのようだ。
しかもだ。
皆実町六丁目の電停は、比治山下経由線と紙屋町経由線とでなぜか離れている。
同じ広島駅と広島港を結ぶ電車で、だ。
ちなみに北側の合流地点である的場町も同じつくりだ。
なぜだ。
8月の暑い中、毎日毎日横断歩道を渡って、一旦歩道に出て、また横断歩道を渡って電停に辿り着く。
そんなことをさせられる方の身にもなってくれ。
両方の駅をほんの少しずつ広島港・宇品側に寄せればいいだけじゃないか。
街をうらむべきなのか、広電をうらむべきなのか、警察をうらむべきなのか、自動車会社をうらむべきなのか、悪いのは自分なのか。
7月の終わりには無駄に3日間の有給休暇を取った。
出勤に耐えられなかったからだ。
妻を誘って北海道にでも行こうかと思ったが、犬の世話は誰がするのか、と言われて断念した。
そして今年ほどお盆休暇をありがたいと思ったことはない。
先祖でも何でも供養しようじゃないか。
この生活も後一ヶ月の辛抱だ。
少しずつ朝晩の気温は下がりつつある。
六丁目のあたりにできた大きなショッピングモールに寄って帰るのも一つの楽しみだ。
妻からは呆れられているが。
朝だけ車で出勤して、帰りは電車ってのもいいのになぁ、なんてふざけたことを考える。
小さい頃はいつも広電に乗っていた。
カズヒロが通っていた中学は家から5つほど先の電停の前にあった。
小学校のときにプール教室に行くときも広電を使っていた。
いつから電車に乗っていなかったかなぁ、と思う。
もっとも、そんな感慨は電車を降りて、太陽に照らされた瞬間に吹っ飛んでいったが。
地球が暑くなっていっているのか、おれが暑さに弱くなっていっているのか。
8月のいつだったか、飲んだ帰りに電車に乗ったときに、有名なサッカー選手が乗っていたのにはびっくりした。
ポルトガルだかどこかで活躍してるんだと、テレビで見たことがある選手だった。
隅っこの方で小さくなっていたから、酔った勢いもあって、「がんばれよ!」と肩をたたいてやった。
彼は寂しそうな顔で苦笑いを浮かべ、会釈をして返してきた。
皆実町六丁目の交差点は、どこかしら昔の栄華を忍ばせているところがある。
人の住む場所の変化、道路の変化、かつて広島市の南端として栄えたその場所は、やがて宇品に至る重要な交差点になり、ただの通り道になり、人の歩かない場所になり、車の数も減った。
妻が言うには、最近、またその先の道路ができたり、ショッピングモールができたりで、ちょっとずつ人が増えてるんだそうだ。
もしかしたら電停が離れているのは、人をあえて歩かせるためなのかもしれないな。
そういえば的場町も同じような雰囲気を感じさせる場所だ。
人が歩いていることで、なんとなく栄えてる様な雰囲気を感じさせるために。
まさかね。
今日もまた、皆実町六丁目で電車を降りて、横断歩道を渡る。
今夜は直接帰らない。ショッピングセンターに寄るのだ。ケーキを買うのだ。
実は広電通勤の副産物は意外なところからやってきた。
昼にもらった健康診断の結果が、軒並み「笑顔マーク」になっていたのだ。
こんな結果は10年ぶりぐらいだった。
乗り換えのときに歩くと言ってもたかだか100メートルくらいだ。
しかも健康診断があったのは8月の初め。
電車通勤になってから、むしろ飲みに行く回数は増えていたはずだ。
自分でもびっくりの好結果だった。
そんな自分へのご褒美に、今日はケーキを買って帰ることにしたのだ。
スーパーでケーキを選び、「これを」というと、「プレゼント用ですか?名前とか入れますか?」と言われた。
もっともだ。
こんなオッサンが、自分へのご褒美にケーキです!なんて妻じゃなくても呆れかえる。
しかもだ。
ご褒美といっても何かしたわけじゃない。
免停くらって泣く泣く電車通勤してたら、少し不健康体質が改善されただけだ。
はっはっは、文句があるなら警察に言ってくれよ。
そう思いながら、恥ずかしいのでプレゼント用にしてもらった。
妻がうるさくてね、なんて言いながら。
比治山下経由路線側の皆実町六丁目電停に小走りで向かう。
電車が宇品側から顔をのぞかせている。
息を切らしながら、かわりそうな信号を渡って電停に向かおうとする。
巡回中の警察も脇から不意に顔をのぞかせる。
「ちょっと!おとーさん、危ないよ!信号がかわりよるんじゃけぇ、渡っちゃダメじゃろーが!」
チャリンコに乗った警察の呼びとめを無視して電停に駆け込んだ。
うるせー!お前らのせいでこーなっとんじゃい!
息を切らした笑顔で、そう言い返してやった。心の中で。
(この物語はフィクションです)
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