広島に行く人も広島におる人も

ブログカテゴリ

  • トップページ

    広島の写真集

    広島の街(広島の街マップ)

    広島の風景

  • 広島の郊外

    広島のニュース

    広島の店

    広島の会社

    広島の人

    広島から始めよう

    広島の作り話

    Title

    English site

カテゴリー

  • トップページ
  • 広島から始めよう
  • 広島のチーム
  • 広島のニュース
  • 広島の人
  • 広島の会社
  • 広島の作り話
  • 広島の写真集
  • 広島の店
  • 広島の文化
  • 広島の街
  • 広島の郊外
  • 広島の風景

広島ブログ


  • 広島ブログ

    Linkfree_180x50

Recommended


  • 021019
    ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
    伊藤計劃

広島の風景 : 七つの川② 「天満川」

広島の歌によく出てくるのが、「七つの川」という言葉です。
甲子園で広島からの出場校の校歌なんかを聞いていても、しばしば耳にすることがあるかと思います。
これは三角州にできた街(デルタシティー)である広島の特徴を現す言葉なんですが、実際に「七つの川」を全て答えられる人は中々いないでしょうし、ましてそれを地図に書き記すことができる人は広島におる人でも皆無でしょう。

まず、七つの川とは何か、と言いますと、西から順に、
太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿侯川、ということになるでしょうか。
あれ?六つしか無いぞ、と思う方もいらっしゃるでしょうが、実は太田川放水路は山手川という太田川の支流を戦後拡張し、半人工的に作られた川です。
その際、山手川の横を走っていた福島川という川を埋め立てて、更地にしました。それが現在の福島町あたりになるかな。
ですので、七つの川は今で言うなれば、
太田川放水路(山手川・福島川)・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川
ということになります。

聞けば、あぁそうか、という感じの方もいらっしゃるでしょう。
比治山か己斐の山にでも登れば、その多くは一望することができます。
広島は、美しいデルタシティーです。

ここでは、西から順に、山手川・福島川は一つとして、代わりに上記以外の川を加えて、全七回で、広島の川特集をしたいと思います。





◎昭和の庶民街を映す川~天満川~

天満川と言うのは、横川の南あたりで本川と分流し、十日市、天満町、小網町、舟入と通り、最後に江波と観音の間をすり抜けて広島湾に流れ込む川です。
その名前から分かるように、かつては広島湾から船が入ってくるときに利用される、港町の様な場所だったそうです。実際、戦後しばらくは能美島からなんかでも、似島で小型船に乗り換えて舟入まで、なんてルートもあったと聞きます。
太田川放水路がまだ無かったですし、比較的川幅もあって、市内に近くて、ということだったんでしょう。

そんな天満川沿いを歩いていると、其処彼処に昭和の趣、しかも四十年から五十年代の面影を残した路地を無数に目にします。
横川からしてそうなのですが、右手に中広、左手に寺町、という風景を抜けて、小網町と天満町を結ぶ広電の線路付近がピークですかね。
そこから下ると、今度は小網町、東観音と、今度は古めかしいマンションやラブホテル群があって、川端には柳の木が植わってる、という、何とも情緒溢れる風景が続きます。
左手に舟入病院を見ながら国道二号線を横切ると、観音橋の橋げた跡が目に入ります。
こちら、確か車は通れなかったんだけど、十年やそこら前までは普通に使ってたんですよ。私なんかもここを通って自転車で学校に通ってた。それがある日突然、老朽化、という理由で撤去されちゃった。ビックリしましたね。市なのかな?乱暴なことをするもんです。
余談ですが、この通りはずーっと鷹の橋商店街まで続いていて、如何にも庶民的な通りだったんです。二号線とは全く趣が違った。代わりの橋は作られるんですかね。どうでしょう。

天満川の整備は平成になってから大分行われましたね。川、というよりも、その両岸ですけど。
本川の雰囲気にかなり近づいた。緑地帯が設けられて、砂地の遊歩道ができて、柳の木が桜やら何やらに植え替えられて。
通りを挟んだ風景が無かったら、どっちがどっちだか分からないぐらい。
その割に街は全く変わらないですね。
新しいマンションを作るとか、再開発する、なんて話はバブル期から何度も何度も出ているらしい。
それでも、一軒・一区画だけ変わっても、ってことで結局、おじゃんになる。
そんなこと、分かりきってるでしょうに、ねぇ。

個人的には、好きですよ。この風景。
色が全体的に深々としている。建物も。川も。緑も。
建物のコンクリートの色は、明らかに市内と違います。雨がよく似合う。
そうそう、緑といえば、平和大通が天満川を横切る橋を、緑大橋と言うんですが、平和大通の緑地帯も、この辺りは緑が深いんです。
大手町あたりとは印象が違う。色が濃いってのとも、ちょっと違います。深いんですよ。
何でだろう、って思ってたんですが、単に木が生えているってだけじゃなくて、公園に奥行きがあるんですよね。物理的な面積は変わらないんでしょうから、設計者の趣向ってことなんでしょうか。是非、見比べてみてください。

何か順序がてんでバラバラになってしまいましたけど、天満川に架かる一番最後の橋は、昭和大橋、という橋です。
この橋、ちょっと高いところにあるんですね。通常の家々で言うと、二階半ぐらいのところから、にゅーん、と伸びてます。
広島市内でマニュアル免許取った人の多くが、この橋に悩まされたと思いますよ。特に土手側から上がっていって橋げたの信号で止まると、最悪ですね。
実はこれには訳があって、天満川ってのは、水かさの差が最も激しい川だと言われています。
地学には疎いんですが、太田川放水路はそれなりに川幅があるから、水かさはそんなに上がらない。本川、元安川になると、入口が狭いから、極端に多くの水は流れ込まない。
京橋川・猿猴川にしてもそうです。本川からTの字型に伸びてるから、イキナリ鉄砲水がくるってことは無いわけです。
それに対して天満川は、こっちが本流?と思うような分岐の仕方をしてる上に、かなり蛇行しながら河口まで延びてます。
そんなわけで堤防が高くならざるを得ない。
放水路ができてからは、さすがに洪水なんてことは聞かないですが、水量に差があるなぁというのは雨の日に通ってみると分かります。
晴れが続くと、干上がったみたいになるんですけどね。

最後になりましたが、そんな天満川のハイライトはやはり天満橋から見える、広電天満橋の風景でしょう。
狭い橋を広電がひっきりなしに渡っていく姿は戦前から続く風景。
元々江戸時代からの庶民街だった今の天満町付近から、広電に乗って皆、紙屋町とか、市内に出て行ったわけです。
その頃の熱気は失われてしまいましたが、ガタンゴトンと大きな音を立てて走り抜けていく広電の姿を見ると、今でも掻きたてられるものがありますよ。

 

緑大橋から望む小網町付近の風景

DSC00625

 

同じく舟入町の風景

DSC00624

緑大橋付近の緑地帯

DSC00621

DSC00623

 
 

 

  

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 11:41 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 七つの川① 「太田川放水路」

広島の歌によく出てくるのが、「七つの川」という言葉です。
甲子園で広島からの出場校の校歌なんかを聞いていても、しばしば耳にすることがあるかと思います。
これは三角州にできた街(デルタシティー)である広島の特徴を現す言葉なんですが、実際に「七つの川」を全て答えられる人は中々いないでしょうし、ましてそれを地図に書き記すことができる人は広島におる人でも皆無でしょう。

まず、七つの川とは何か、と言いますと、西から順に、
太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿侯川、ということになるでしょうか。
あれ?六つしか無いぞ、と思う方もいらっしゃるでしょうが、実は太田川放水路は山手川という太田川の支流を戦後拡張し、半人工的に作られた川です。
その際、山手川の横を走っていた福島川という川を埋め立てて、更地にしました。それが現在の福島町あたりになるかな。
ですので、七つの川は今で言うなれば、
太田川放水路(山手川・福島川)・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川
ということになります。

聞けば、あぁそうか、という感じの方もいらっしゃるでしょう。
比治山か己斐の山にでも登れば、その多くは一望することができます。
広島は、美しいデルタシティーです。

ここでは、西から順に、山手川・福島川は一つとして、代わりに上記以外の川を加えて、全七回で、広島の川特集をしたいと思います。





◎人工的な直線の大砲水路~太田川放水路~

前述の通り、太田川放水路は、戦後、山手川を拡張し、反対に福島川を埋め立てることで水量を確保して作られた、半人工の川です。
実は戦前から計画もあり、一部着工もしていましたが、戦争により計画は中断。戦後再開された放水路計画が最終的に完成に至ったのは着工から三十年以上経った、昭和四十六年のことだったそうです。

六つの川の中では、本流となる本川を除いて、最も北、つまり早い時点で分流され、ほぼ一直線に瀬戸内海に向かって流れ込みます。
祇園あたりから中広辺りまでは戦前着工され、山手川の流れを生かしたこと、また西側に三滝などで知られる強固な丘があったこともあって、ややくねくねとカーブを描く部分もある。一方、中広を越えて以降、瀬戸内海までの七キロ程度は、やや川幅を広げながら、ほぼ直線の、文字通り放水路になっています。

実際に平和大通に架かる新己斐橋に上がって南側を望むと、まさに巨大な大砲が横たわっているかのような、一直線の人工的フォルムに感動すらします。
遠く左手に安芸の小富士を望みながら放水路の上をゴウゴウと通り抜ける風に身をさらすと、まるでどこか別の街に来てしまったような印象がある。
時折、新己斐橋を渡る広電のゴトゴトという音が、ようやくそこが広島の街であることを思い出させてくれます。

放水路周辺の風景は、というと、北から順に、
祇園大橋、可部線、三滝、竜王橋とオレンジ色の山陽本線、山陽新幹線、太田川緑地、広島高速四号線、己斐の山、ノートルダム清心、西広島、広電、旭橋と西広島バイパス、庚午橋、野球場、広島西飛行場、中央卸売市場、
そして草津港を右手に、マリーナホップを左手に瀬戸内海へと流れ込みます。

こうして見てみると、北から順に、山陽本線と交わる竜王橋付近までは郊外、そこから庚午橋付近までが市内、それより下に行くと工業・商業地帯、という印象ですかね。
放水路ができる前にどうだったかは分かりませんが、これが完成したことで、郊外・市内の線引きのようなものが出来上がった感はあったかもしれません。
ただ、山陽本線や西広島バイパス、国道二号線と東西の交通が確立されていたので、それほど空間的な差は無かったのかもしれない。ただ、景色としては、太田川放水路西と東で分かれると言ってもいいかもしれません。
比較的住宅地的な様相を強くしていく西側と、旧市街的な様相が強く残る東側。
特に放水路と天満川に囲まれた「島」には、三篠、横川、中広、福島町、観音町と旧市街的な雰囲気を色濃く残した「裏町」的な街が続きますしね。
国道二号線を超えて南観音、庚午と進むと、空港と運動公園とネギ畑、という広々とした風景になります。一言で言うなれば、田舎。
一方西側は、長束、三滝、己斐、高須、古江、草津、とJR駅周辺から宮島街道にかけては古くからの家々が残るものの、もう少し放水路から離れると、住宅地としての色合いが強くなります。「団地」と呼ばれる空気に近い。
それに三滝や竜王といった山の風景も加えると、大きく分けて五つの風景がある、ということになるかな。

人工的に作られたこともあってか、近隣の家々と太田川放水路との関係はあまり感じません。
中広あたりまではずっと緑地として整備されているので、スポーツを楽しむ人の姿も見えるといえば見えますが、さほど多いとも思えない。
中広を越えて、工場なんかが増えてくると、放水路らしく工場との結びつきはやや感じますが、密接に、という雰囲気は、少なくとも外側からは感じない。
むしろそれが「放水路」らしさを感じさせると言えば、そうかもしれません。

そんな放水路ですが、近年、水鳥を集まらせたりするような実験が行われたりもしているようです。
実際、新己斐橋から川を覗き込むと、チラホラ水鳥を見かける。
この人工的な大砲水路が、やがて人工的でなくなる日が来るのか。まぁ、来ないでしょうね。
それよりも、その人工的フォルムでこれからも非広島的な風景を感じさせてくれる方が、もっとずっと魅力的に感じるのは、どうでしょう。私だけでしょうかね。

 

河口に向かって一直線に伸びる太田川放水路(新己斐橋より)
右側の写真の左端は安芸の小富士

DSC00619  DSC00617 

広電の走る新己斐橋(奥が西広島駅)

DSC00618
 

 

  

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

 

投稿情報: 16:32 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)

広島の風景 : 広島ドリミネーション(平和大通りイルミネーション)

少し前のことになりますが、行ってきました広島ドリミネーション。
(広島のニュース : 広島ドリミネーション(平和大通りイルミネーション)開幕)

土曜日ということもあってか、すごい人の多さにびっくりしました。
夫婦、カップル、子供づれ、孫含め三代、友達同士、休日出勤帰り、ご近所さん、バライティーに富んだ人がいっぱい集まってました。

当日は、平和大通りだけでなく、八丁堀、流川から紙屋町まで、市内が久々にお祭りのように賑やかでした。

2009121218200000

2009121218230000

 

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■



投稿情報: 21:23 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : 宮島水中花火大会

昨夜は宮島の水中花火大会でした。
36万人も訪れたそうで、さぞかし盛り上がったことでしょう。

Miyajima

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200908150100.html

数年前に行った時はあいにく小雨が時折ちらつく天気でしたが、それでもすごい人でした。
花火自体に風情(もちろんすごく美しいです)があるというよりも、夕方から段々と人が増えていく宮島の風景。
それもみんな浴衣浴衣浴衣。
そして盆と正月にしかない、満員の広電宮島線。
そちらの方にどちらかというと季節感を感じるかもしれません。

今年は雨も多く、夏らしい天気になったのはまだ数日だそうですが、
無事、花火大会が行われてよかった。

人のまばらな宮島も落ち着いて好きですが、浴衣姿の人で賑わう厳島神社も華やかで、美しいです。
やはり、厳島神社は華やかで賑やかな平家の栄華の中で、今の姿になっていった神社ですからね。

浴衣の袖をふれ合わせて観る宮島の水中花火。。
お盆の一つの風景です。

盆が過ぎ、紫色に染まる広島の夕焼けが見える夏の終わりも、
もうすぐ近くですね。

広島のニュース : 江田島花火大会

■ 広島に行く人も広島におる人もTopPage ■

投稿情報: 18:30 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

広島の風景 : とうかさん

とうかさん、ゆかた祭りとしても有名な、広島の梅雨時期の代名詞です。
このお祭りが来たら、梅雨入りじゃねぇ、というお祭りで、
広島市民にとっては最も親しみのあるお祭りの一つです。

広島の風景 : フラワーフェスティバルでも触れましたが、
フラワーフェスティバルが「ヨソイキ」のイベントして成立しているのに対して、
とうかさんは「こんなに市民がいたの?」と思わせてくれるイベントです。

090607_113241

もともと、「とうかさん」とは、稲荷大明神の稲荷を(いなり)とよまず、
音読みで(とうか)とよんだのが名の由来と言われているそうです。
6月の8日、9日、10日とかつては行われており、それでとうか(十日)さん、という説も。
今は大体6月の第一金曜日~日曜日に開催されています。

例年1日は雨。
今年も降ったり止んだりが続きました。

パッとやって、パッと通り過ぎる楽しさを味わうフラワーフェスティバルと違って、
徐々に近づいてくる雰囲気を愉しみ、また余韻を愉しむお祭りでもあります。
ゆかたの準備をしたり、会社の仕事を早めに終わらせたり。
梅雨の雨降る中、祭りを回想したり。

090605_212220


ゆかた祭りとして本格的に謳いだしたのは10年ほど前からでしょうか。
週末にあわせて開催するようになったのもそれくらい。
もちろんそれまでもゆかたで来る人が多かったから、そうなったのですが、
運営側(特に商店など)が「稲荷」を離れ「ゆかた」に主眼を置き始めたのは、
大きなターニングポイントだったかもしれません。
ゆかたを着ている人に対する割引は当たり前。
ハーゲンダッツですら割引があります。

とうかさんの裏手には広島位置の夜の繁華街、流川があります。
この祭りの間ばかりはそこもお祭り気分。
店員さんたちも、男女問わず、みんなゆかた姿で祭りを盛り上げます。

実はこのとうかさんは昔は暴走族で有名でした。
あちこちの公園で旗がひらめき、特攻服姿が闊歩し、夜も更けてくると小競り合い。
最近は、相当警察も力を入れて対策をとっているようです。
右手に「警察」の腕章をつけた私服警官がそこら中にいました。
制服が足りなかったのでしょうか。

そういったイベントとしての祭りの盛り上げ方、警察の対応など、
明るい「ヨソイキ」のイベントしてのフラワーフェスティバルとは別の力学の中で、
とうかさんは発展してきました。
流川を裏手に抱えるだけに、キレイなイベントにはなり得なかった。
そこに広島独特の雰囲気を感じることもできます。

いずれにせよ、その後ここ10年間くらい、広島で雨後の筍のように、
数多く立ち上がってきたイベントのモデルケースになっていることは間違いないです。

市民としてはあまりキレイなイベントにはなって欲しくないですね。
それはフラワーフェスティバルで十分。
もちろん、安全に楽しめるイベントにはして欲しいですが、
複雑に折り重なったこの情緒だけは残して欲しいな、と思います。



広島に行く人も広島におる人もTopPage

 

祭りの達人 (タツミムック)

61rb1l5zwcl_ss500_

 

Amazon

投稿情報: 21:48 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)

広島の風景 : フラワーフェスティバル

少し時期はずれてしまいましたが、フラワーフェスティバルについて。

ご存知の通り、広島市中心部、平和大通りに沿って5月のゴールデンウィークに行われる、広島最大のフェスティバルです。
この日ばかりは街中に人があふれます。

起源は1975年に広島東洋カープのセントラル・リーグ優勝パレードで、
そこにあまりにも多くの人が集まったため、その後フェスティバルとして毎年行うようになりました。

広島ではこのほか、宮島・厳島の鎮火祭や花火大会、広島みなと夢花火大会(旧大田川・宇品両花火大会)、
あとは平和記念式典などもありますが、訪れる人の数で言えば、100万人を超え、圧倒的です。

私の育った家は平和大通りのすぐ真裏にあったので、
毎年、家の周りが人だらけになったのを覚えています。

こちらステージの準備の様子。

090502_171219_2

こちら屋台の準備の様子。

090502_171230_2

ただ、フラワーフェスティバルは、どうも「ヨソイキ」のイベントとしてのイメージが強いです。
あまり市民のお祭り、というよりは、他県や他の地域から来た人に対してのフェスティバル、という感じ。
同じ市内で行われるイベントでも、「とうかさん」や、「えびすこう」といったお祭りの方が、より市民向け、という感じがします。
最も、フェスティバルは元々が「イベント」であって、「お祭り」ではないので、仕方がないのかもしれません。

その点では、例えば「博多どんたく」や「ねぶた祭り」とも違います。
こうした純粋な「フェスティバル」としては、多く人を動員できている方なんじゃないでしょうか。

残念なのは、このフェスティバルのテーマが、あまり重要ではないことでしょうか。
「フラワー」と名がついているからには、「花」がテーマになっていそうですが、
それはごく一部だけ、と言った感じです。
そもそも、広島県や広島市に「花」のイメージを抱く人も少ないでしょうし。
いっそのこと、「もみじフェスティバル」や「カキフェスティバル」の方が、
時期の問題はあれ、他県から見ると、しっくりくるイメージなんでしょうね。

ちなみに、広島がこういった「ヨソイキ」の顔を見せることは、非常に稀です。
基本的には、内向きな県であり、他県、特に他の中国地方4県との交流を軽んじる傾向にあるように思います。
「ヨソイキ」のいい例が、「ヨサコイ」をメインイベントにすえていることでしょうか。
また、毎年訪れるゲストも、広島県とは接点のない人が多いです。
これはすごく珍しい。

今後、こういったイベントがどの様に変化していくのかも、注目ですね。

なお、個人的にこのフェスティバルで一番感動するのは、「片付け」の早さです。
翌朝には綺麗サッパリ日常を取り戻しています。

今度、他県からフラワーフェスティバルに行く人がいたら、是非日程を1日延ばして、
「祭りの後」の日常の表情も見ていってください。

広島に行く人も広島におる人もTopPage

 

祭りの達人 (タツミムック)

61rb1l5zwcl_ss500_

Amazon

投稿情報: 20:15 カテゴリー: 広島の風景 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

« 前

最近の記事

  • 広島のニュース : 広島東洋カープ 前田智徳選手 引退
  • 広島のニュース : 広島東洋カープ CS進出決定
  • 広島の風景 : 変わりゆく広島駅南側の風景
  • 広島の郊外 : 鹿島
  • 広島の郊外 : 桂浜
  • 広島の街 : 牛田(牛田本町)
  • 広島の街 : 牛田(牛田早稲田)
  • 広島の郊外 : 呉 2013 (2)
  • 広島の郊外 : 呉 2013 (1)
  • 広島の郊外 : 可部(2)

アーカイブ

フィードを購読