広島駅から可部線に揺られること20分。単線のため、途中、三滝駅ですれ違いを待ってたりして、のんびりと家々の脇をぬけて走っていけば古市橋という駅に着きます。
古市、というのは名前から何となく連想されるとおり、言わば宿場町的な場所ですね。可部街道(旧国道54号線=国道183号線)沿いに栄えた、広島と安芸高田との広島市内寄りの中継地点の様な場所です。
一見のんびりした可部線の駅の中でも、古市には往年の名残が残っていて、まず駅を出て直ぐに車やバスの行き交う可部街道があり、ひっきりなしに車が行き交います。建物はそれまでの可部線の駅とは少し風情が異なり、街道を前提に作られている、といった風情。
それを過ぎてもう少し進めば安佐南区役所が見え、その裏手が太田川の支流である安川で、駅の名前の由来にもなった橋を渡れば、現代の交通中継地点である中筋になります。
ちなみに「安古市」という呼び名は「安川」と安川に注ぎ込む「古川」という二つの川の合流地点に立つ「市」から、きていると言われています。
ちょうどこの左の写真にある場所ですね。左が安川。右が古川です。この辺りは緑がとても美しく、瀬野川よりは解放的というか、のんびりした印象ですね。
「安古市」というのは行政上の地名としては今は存在して無いんじゃないかなぁ。その割に「安古市店」というのは今でもしばしば見ます。
何れにせよ、安佐南区の中心地ですね。
安佐南区というのは何か無理矢理作って広島市に吸収してしまった様な印象を持つ方もいらっしゃるでしょうが、実は古市や、その北にある大町あたりを中心に、かつては広島市よりも先に街が形作られた、と言われています。まだ、広島の中心が安芸高田にあった頃ですね。
その頃の風情はもう失われてしまい、今はただ街中に流れる水路にだけ、その栄華の欠片を見ることができます。
(古市駅前の風景。可部街道とは別に支流ともいえる安川通りが走っている)
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(古市の街を抜ける水路。家に入るための橋がいくつも並ぶ美しい風景。古市を中心に安川の周辺には水路が多い)
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古市で印象的にあるのは「メガネの三城」さんですかね。有名な眼鏡屋さんで可部街道沿いにあって、何だか不思議な外見でした。今見ると、あぁ普通の郊外店かな、って思いますが、当時は異様な外見に見えましたねぇ。今でもメガネの郊外店というのはあまり多くは見かけませんが、当時は特に無かったですしね。
それから可部街道を走るのはオレンジ色のバスなんです。
これは可部街道に限らず、市内北側に向かうバスに多いんですが、可部方面を主戦場にしている広島交通さんのバスの車体の色ですね。広電の緑、広バスの赤、それに広交のオレンジです。
今となってみれば、紫にしとけばよかったのになぁ、と思いますが、祇園新道(54号線)アストラムラインに負けず、元気に営業中です。私の抱く、古市の色ですね。
(メガネの三城さんと可部勝木に向かう広島交通のオレンジ色のバス。共に旧54号線)
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何で紫かって?
安佐南区にプロチームができたのはもう10年以上の事。毛利元就にちなんで、「サンフレッチェ」と名づけられたそのサッカーチームの本拠地、広域公園ビッグアーチがあるのが、安佐南区。そう。サンフレッチェがあるのは中区でも西区でも東区でも南区でも無く、安佐南区なんです。
実際、古市にある安佐南区役所に行くと、はっきりと横断幕でそう書いています。
地元の人々がどこまでそのことを嬉しく、誇りに思っているかは分かりませんが、もっともっとその事を大切にしていったらいい、と思います。何でもかんでも中区・東区あたりでは面白くないですから。
広交さん、どうでしょう?紫のバスを走らせてみませんか?
(旧54号線と安川の間、落ち着いた場所にある安佐南区役所。右の写真中央左の紫の垂れ幕にはサンフレッチェのホームタウンであることが書かれている)
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ちなみに、可部街道、と書いてきましたが、多くの広島におる人は、この道を旧54号線、と呼びます。祇園新道が国道54号線に昇格する前、この可部街道が54号線だったころの名残ですね。
183号線、という呼び名は、聞いた事がないなぁ。
尚、駅前を走る県道277号がさらに古い国道。つまり、国道は次第に東へ移っていったわけで、古くからいらっしゃる方は県道を旧国道、可部街道をバイパス、と呼ばれたりもします。
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【関連する過去ブログ】
広島の街:横川
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