いつかの活気が失われて、人影が少なくなっても、変わらない路面電車の音と、夕暮れの風景が在る街。
小網町は紙屋町から広電で10分あまり。広電が吉島線と別れて西広島に向かう、最初の駅がある街です。
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天満川沿いに位置する小網町は、かつては中心部への入口として栄えました。
特に戦前は、市内の中心部が今よりもずっと西寄り、だいたい紙屋町から現在の平和公園あたりを通って中島町あたりまででしたから、まさに西の入口だった訳です。
今でも、天満橋を越えて広電がなだらかな下り坂を滑りながら市内方面に向かう姿は、何処となく街へと向かう高揚感を感じさせますし、また逆に天満町側へと向かう姿には、帰路を思わせる空気が漂います。
以前、「広島の風景:七つの川」でも触れましたが、太田川放水路がなかった当時は、特にこの天満川が、東の京橋川同様、市街地とその外とを心理的に分けていたんだと思います。
戦前の広島の映像なんかを見ていると、この天満川を越えて小網町に入っていく人々の高揚する姿をよく見ることがありますね。
と、同時にこの小網町は市街地の中の下町でもありました。これはお隣の土橋あたりもそうですが、路地が入りくって、町工場が並び、庶民が暮らす、そんな街でもあった訳です。
十日市町まで行くと、少し毛色が変わってくる。もっとも、それらは全て吹き飛んでしまいましたが。
(天満橋を超えて市内に入る広電と、十日市町から九十度カーブして天満橋に向かってくる広電)
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天満橋と言うのは、広島市内でも唯一となった「路面電車専用橋」で、車両の渡れる天満橋はそこから100メートルほど北にもう一つあります。こちらは味気無い橋なんですが、おそらく元々の西国街道はそちらの方に近かったのでは、と思います。
己斐の山まで続いている事もあってか、それなりに車通りは多いです。
平和大通には小網町交差点と言う、結構大きな交差点があるんですが、こっちは小網町、という風情は無いですね。まぁ、平和大通自体が戦後作られたものですし、そこを渡って舟入に行くと、マンションの立ち並ぶ風景に一転します。
小網町にはその立地を考えると、驚くほど新しく、大きなマンションが無いですね。
逆に言えば、そういった建築と相容れない小網町の風景に対するイメージが、それだけ広島市民の中で強いのかもしれません。
私が個人的に抱いてきた小網町のイメージは、と言うと、なぜか「電線」なんですよね。
不思議です。なんででしょう。広電の電源線もあるんでしょうが、むしろ電柱とセットでの電線のイメージが強い。
もう少し上の世代の方だったら、活気ある小網町の風情を思い浮かべる方もいらっしゃるかと思うのですが、私が物心ついた頃には、もうそういった雰囲気は陰っていたからかもしれないです。
夕暮れに電柱が黒く染まり、そこから濃くてちびた鉛筆で書いた様な太い電線がのびている。
一番上の写真なんかもそうですが、一本路地に入っても、まさにそんな風景。下の写真見てもらえれば分かりますが、どこでそんなに電気使ってんの?って思うぐらい、電線がクモの巣の様にのびています。
この風景、私の年代からすると、何だかすごく懐かしい風景なんです。
街に夕暮れが訪れて、電線の脇の街灯がジジっと明るくなってくる。そこに響く広電の走る音。
それが小網町の、そして私の幼い頃の風景なのかもなぁ、と思います。
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【関連する過去ブログ】
広島の写真集 : 3. 広電の走る街
広島の街 : 十日市町
広島の街 : 土橋
広島の街 : 西広島(己斐)
広島の街 : 舟入
広島の風景 : 路面電車
広島の風景 : 七つの川② 「天満川」
広島の風景 : 七つの川① 「太田川放水路」
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コメント
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