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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語【2】-(8) : 「秋深まる立町」
「うぅぅ、寒いのぉ」
「クサツさん、こんな寒くて客なんて来るんスか?」
「知らんわぃ。イベントはやることに意味があるんよ。立町で立って待つ。なんてね」
えへへ、とか言いながら自社製品の缶コーヒーを啜る。温かかった缶コーヒーはとっくに冷めてしまって、オレ達はすっかり寒くなった秋風に身を縮めながら新製品のホットぶどうジュースをフラフラとやってきた客に配って回る。
何が嬉しいのか知らないが、我が社は毎年この季節に冬に向けた新製品を発表し、それを配るというイベントを行う。
地下街でそれを行えた東京とは異なり、広島では、秋風が身に沁みるちょっとした空き地で行っているらしい。
「毎年、このイベントはクサツさんなんスか?」
「おぉ。なんか知らんがのぉ。これだけは逃げられんのよ」
なるほど。クサツさんが逃げられないと言うのだから逃げられないのだろう。この人が客に話しかけているところを、正直オレは初めて見た。
「数年前までは昼になると差し入れに支店長とカエデちゃんが来てくれとったたんじゃけどね」
「無くなったんスか?」
「カエデちゃんが来んようになって、支店長だけになったけぇ、来んでエェですよ、って」
「あぁ、なるほど・・・」
ヤマネさんのオヤジギャクがうつったのか、クサツさんは「カエデはエェでぇ」とか訳の分からんことを言って、ホットぶどうを断熱袋から取り出す。そう言えばクサツさんはムカデと大して年は変わらないはずだ。二つか、三つ。
「カエデさんって昔からあんな感じだったんですか?」
「あんな感じって?」
「いや、何かトゲトゲしいと言うか・・・何と言うか・・・」
「うーん、最初の頃はあれでも猫かぶりよったけぇね。声とか一オクターブぐらい高かったんじゃいかね」
一オクターブと言うと、相当である。
「昔は可愛かったよぉ。まだ広島のこともあんまり知らんでね。ちょっと方言も違ごぉとってから。愛媛から出てきたばっかしじゃったけぇね」
「クサツさん、もしかしてカエデさんのこと、好きだったんですか?」
「アホ言うなやぁ」そう言うと、クサツさんは鼻水をジュルっと吸い込んで、持っていたホットぶどうを向こうにいるスーツ姿のオッサン三人に配りに行った。それに合わせてオレも手前の一人サラリーマンに、ホットぶどうを手渡す。
「何で、ぶどうなん?」
「いや、これまでに無い感覚を味わっていただこうと思いまして」
「気持ち悪ぅないん?」
「いえいえ、そんなことないですよ。最初はちょっと違和感があるかもしれないですけど、甘さも抑えてますし、ほら、ホットワインとか、あるじゃないですか。あんな感じで、身体が温まります。実際ぶどうにはそういう成分が入っていてですね、えぇっと・・・」
「ふーん。広島じゃあ、ホットワインなんか見んけどね」そう言いつつ、サラリーマンはしっかりとホットぶどうを持って立ち去って行った。
嫌なら、もらいに来るなよ。心の中で一人ごちる。
「広島じゃあ」か。すっかり慣れたつもりのこの街でも、時たまそういったことを言われる。例えば飲みに入った居酒屋で、お客さん、出張?とか。別に悪気は無いんだろうし、初めの頃の様にイチイチそれを気にして、つまらない嘘をつくこともなくなったけど、ふとした時にそういったことを言われるのがもどかしい。向こうを見ると三人のサラリーマンにクサツさんはすっかり溶け込んでいて、フケだらけの髪をかきあげていた。と言うか、むしろそっちの冴えないオッサングループの方が居心地が良さそうだ。
イベント会場の空き地からは立町の電停がちょっとだけ見えて、背広の上に薄いコートを羽織った人たちを吐き出したり、飲み込んだり。
夏場まであった街の高揚感がいくつかの花火大会をピークに消えていって、秋の空が広がる頃には、街がすっかりと落ち着いてくる。其処に住んでいる人たちの季節。そう感じさせる声が街中に響く。それは例えば運動会だったり、紅葉を愛でる声だったり、夏祭りとは雰囲気の異なった秋祭りだったりだ。
ちょっとだけ東京を思い出しかけたオレに、ババァが手を伸ばしてくる。「ホットなんちゃらゆぅん、もらえるん?」
「あ、はい、ホットぶどうですね。今すぐ」
断熱袋から取り出して渡す。
「家におる夫の分ももらえん?」
「えぇっと、一応一人一本と言うことになってまして」
「まぁ、そうこまいこと言わんと、エェじゃないの。お兄さん、優しそうな顔しとるけぇ」
キャッキャと笑うオバサンにハッハッハと調子を合わせながら、臨時のバイトに見えないようにもう一本くれてやる。
「まぁお兄さん、エェ人じゃねぇ。お兄さんも今日はエェことあるよ」オバサンが満足げにキャッキャ言いながらホットぶどうをバックにしまいこんで街に消えていく。ま、こんなんで良い人だと褒められれば世話は無い。
「あれ?どうしたんスか?」
ようやく弱弱しい日差しががビルの間から差し込んできたお昼過ぎに、支店長とカエデさんが差し入れにやってきた。
「いやぁ、天気もよぉなってきたし、たまには差し入れにでも行こォかぁゆぅてね」
クサツさんの話を聞いていたオレとしては「あはは」と愛想笑いをするより他無い。
「クサツ君は?」
「なんか、お手洗いでシャレオに行ってます」こんな時に居ないのはもはや天性の才能だろうか、それともいつもの逃げ癖が災いしてのことか。
「はい、弁当」ぶっきらぼうにムカデがビニール袋を寄越す。
「まだ、食べれとらんかったでしょ?」と支店長がフォローする。斜め後ろから日差しを受けた支店長は、まさに年食った奥田民生そのものだった。
「はい、まだです。おぉ、むさし!」
「カエデがむさしにしましょうゆぅてゆぅけぇね」
オレがむさし好きなのを知ってのことかと思ったら、単にイベント会場から最も近いから、という理由だった。
「ホットぶどうの評判はどう?」
「まぁ、正直あんまり良くは無いですね。その場で直に蓋開けて飲む人もいないですし。ぶどうと温かい、が繋がらないみたいです」
「でも果物んなかじゃったら、ぶどうじゃないんかね?」
「そうかも知れないですが、そもそも果物を温かい飲みものにする必要が無いんじゃないか、と」
「確かになぁ。なんで、今年はぶどうじゃったん?」
「何か、あんまり良くは知らないですが、お茶やコーヒーは飽和してるし、大手に立ち向かえないからみたいスけどね。ぶどうで立ち向かえるかは分からないって言うか、かなり苦しそうですけど」
「うぅん、そうかぁ」と残念そうな顔をする正直者の民生の隣で、早く帰りたそうなムカデが、「色が気持ち悪い色じゃけぇですよ。こぼしたらどぉするんね?」と言ってこっちを睨んできた。
いや・・・別にオレが開発した訳でも、オレが売り込みたい訳でも、オレがあんたにこぼした訳でもないんだけどなぁ・・・と思いつつも、確かに、と感心する。
用が済んだし寒いけぇ戻りましょうとムカデが言って、遂にクサツさんが来る前に二人は帰ってしまった。
試しに女子大生の臨時バイトに、このホットぶどう、こぼれたらとかって思います?と聞いたら、「別にぃ、でも何でぶどうなんです?」と逆に聞かれた。じゃけぇ知らんって!という広島弁が自然と出てきそうになった。
長い便所から戻ってきたクサツさんに弁当を渡してやる。
「えぇっ?カエデちゃん、来とったん?」
「えぇ、支店長もです」と一応付け加えてやる。クサツさんは中身を物色した上で「ワシ、山賊弁当ね」と言って、昼休憩から戻ってきた方のバイトにその場を任せて弁当を食いに行ってしまった。
そんなクサツさんは前にオレに言ったことがある。「ワシ、むさしとちからじゃったら、ちから派なんよ」と。
(この物語はフィクションです)
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