メグの愛称ですっかり有名なバレーボール選手、日本代表のエースです。
ご存知の方も多いと思いますが、出身は瀬戸内海広島湾に浮かぶ能美島(現江田島市)。
中学二年生から他県の学校にバレー留学していますので、実際には十三年ほど能美島に暮らしていたことになります。
まだ学生の頃から有名選手でしたが、アテネオリンピック予選あたりで一気に全国区になりましたね。
もう八年以上も前のことです。
その後紆余曲折を経て、山形県天童市を本拠地とするパイオニアレッドウィングス、というチームで今はプレーをしています。
もちろん、彼女自身は素晴らしい選手だと思うのですが、能美島からそういった選手が出た、ということ自体にやっぱり驚きを隠せないです。
陸上など身体能力を競う競技ならまだしも、バレーボールという団体競技はどうしても周りにもいい選手がいないと成長も、ステップアップも難しいです。
そういう意味で、やはり幼少の頃から同じような才能を持った子供達の多く集まる都市部出身者が多くなる。
能美島なんて、(失礼ですが)あぁバレーボール体育館がちゃんとあったのね、という島からそういう選手が出た、ってのは本当に驚きです。
ご両親が相当努力されたそうなのですが。
同時に、アテネオリンピックにおける彼女達のメディアからの取り上げられ方、それは今の多くのスポーツで見られることですが、所謂アイドル的取られ方は、東京などに住んでいる人から見るとあまり驚くようなことではないのかもしれませんが、十数年間とは言え、能美島で海と山に囲まれて育ってきた十代後半の女の子には信じられないような部分もあったように思います。
それは良いこともあっただろうし、辛いこともあったでしょう。
良いか悪いか、ということではなく、都会に暮らす人々に比べ、そういった面で脆いところが、瀬戸内海の島で育ったような人にはどうしてもあります。
中学・高校時代から注目され続け、メディアからの取材も他の選手に比べて多かったであろう彼女ですら、その取り上げられ方を普通のこと、あるいはただうれしいことだとは感じられなかったと思います。
アテネオリンピック後、彼女が東京近郊に本拠地を置くNECをやや強引に、逃げるように退団し、他の都市でも、広島でもなく、天童市という遠く離れた山に囲まれたチームに移籍したのは、バレーだけが理由じゃない気がします。
広島はスポーツの盛んな県で、野球選手やサッカー選手、陸上選手やバレー選手など多くの有名選手を輩出してきました。
特にサッカーにおいては今いる日本サッカー関連協会の幹部の半分くらいは実は広島出身、もしくは縁の濃い人たちです。
ただ、どうもそういった選手・関係者達はみんなメディア慣れしていない。
それは広島という街に住む人たちの多くの人の性格を現しているように思います。
中でも、能美島に生まれ育ち、あれだけの取り上げられ方をされた栗原選手は、特にエクストリームな状況にさらされた選手の一人でしょう。
勝手な予想ですが、アテネ以後、きっと彼女は能美島に例え一時的とは言え帰省するのが嫌だった時期があったように思います。
そのギャップに耐えられるほど器用なタイプには見えないからです。
最近になって、ようやく落ち着いてきた、というか、いい意味で彼女を取り巻く周りも落ち着いてきたし、彼女自身も慣れてきたように思います。
選手としてこれからも活躍して欲しいですし、ロンドン五輪にも出て欲しいですが、いい意味で、能美島に帰省したいなぁ、と思い、ぼんやりと瀬戸内海を眺めて過ごせるようにもなって欲しいなあ、と思います。
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