******************************************************************* |
広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
******************************************************************* |
広電物語 : 「ここんところ寒すぎじゃね?」
「おかぁん、ここに置いとったケータイしらん?」
「知らんわいね。えーけぇ、行くよ、さっさと支度しんさいや」
「だってケータイがないんじゃもん」
「あーもぉ、近頃の中学生ってのはみんなこーなんかねぇ!」
「はぃはぃ。そーよーに怒らんのよ。あ、あった」
「あったんならはよーしんさいや、ヒロカ!おじいちゃんまっとるんじゃけぇ!」
「今度は充電器がないんよー。ねぇ、知らん?」
扉から娘がヒョっと首を出す。
急ぐ気などサラサラありません、という顔だ。
イライラする。娘のヒロカは中学二年生だ。
一昔前なら髪を染めてみたり、お洒落に目覚めたり、ちょっと危ないことをしてみたり、恋愛したり、そんな年だったハズだ。
多少グレてくれた方がまだわかりやすい。
最近の子は悪いことをしてる様子がない。
様子がないってことは悪いことをしていないわけじゃなくて、悪いと思ってないし、それが外に見えないってことだ。
携帯電話やインターネットのせいだとみんなは言う。
でもきっとそれだけじゃない。
別に携帯にできて手紙と公衆電話にできないことなんてあんまりないし、インターネットにできて本とテレビにできないことなんてあまりない。
みんな新しいもののせいにしたいだけだ。
悪いことを悪いと伝えなきゃダメだ、ってどっかのテレビコマーシャルでやっていた。
わかるよ、言ってることはわかるよ。
「うーん、おかぁんの貸してーや」
「えぇよ、もう貸すけぇ、なんでもえーけぇ、はよー行くよ」
「わかったよぉ。もう。そんな急いでどうするんね。別に危篤とかでもないんじゃろ?」
入院中のじぃさん、正確に言うと旦那の父親はピンピンしている。
えーっと、どこが悪かったんでしたっけ?と思わず聞きたくなるくらい、旦那の差し入れているコップ酒を今日も美味そうに飲んでいる。
看護婦に見つかりそうになると、今日は寒いのぉ、なんて言いながら鼻のあたりまで布団を被る。
本人は匂いと顔が赤くなっているのがわからないようにしているつもりなんだろうが、日本酒の匂いなんて部屋に入った瞬間から漂っている。
こいつが見舞いにきとるクセに飲むんじゃぁ、と旦那のこと指差す。
すいませんね、うちのオヤジが、なにぶん酒屋ですけぇ、なんて言ってる旦那も、コップを後ろ手に隠している。
まったく、昔の人間は悪さがわかりやすい。
「うわぁー、ここんところ寒すぎじゃね?」
「あんたがそんなひらひらのスカート履いとるけぇよ!はよー車に乗りんさい!」
「うぅぅ、寒い」
トロトロと娘は助手席のドアを開いて、ヨイショとかなんとか言いながらモタモタとクッションをはたいている。
先に座ってるこっちの方が寒い。
ヒロカは目立ってトロいわけじゃない。別に座る前にクッションをはたいてるんだから、悪いことをしているわけでもない。
しかし、いちいちイライラする。
年の差か、と思って我慢することの方が圧倒的に多い。
ただ、最近、旦那が似たような人間であることにふと気がついた。
誰々が待っているとか、こんなものが欲しいんじゃないか、とかこんなことをしたら怒られるんじゃないか、とか、いちいち他人のことを気にする人間には、きっと生きにくい世の中になった、ということなんだろう。
悪いことをしてる様子がないってのは、きっと「怒られるかもしれない」という恐怖感や不安感がないってことだ。
事実、病院で日本酒飲んだって、車に乗る前にクッションをパタパタやったって犯罪ではないわけだし。別にかまわんよ、かまわん。でも他人の気持ちってものがあるじゃろぅ
ヨイショっとか言ってやっと扉を閉めたヒロカを睨みつける。
「あんたねぇ、ちぃーたぁ人が寒いとかなんとか考えんのね?」
「いやぁ寒いねぇ。なんか前に住んどった家より寒いと思わん?」
「外が寒いかどうかの話をしとるんじゃないんよね!」
「やっぱり海に近いと寒いんかねぇ」
わざとなのかどうなのか、はぁっと手に息をふりかけた娘はスカートを今度はぱたぱたやりながら曇ったサイドウィンドウ越しに外を眺めた。
こっちははぁぁぁっと溜め息をハンドルにふりかけて車を発進させる。
すぐに走ったところで、広電の走る道を左折する。
引越しをするってなったときに、旦那は広電の駅の近くという条件だけは譲らなかった。
なんでだか知らないが、ヒロカのことを思って、だったらしい。
今となってはヒロカは学校には自転車で行っているし、旦那は酒屋に広電で行っている。
親子だなぁ、と見てると思う。入院中のお義父さんも含め。自分だけ、血がつながってないのを実感する。
年頃の娘は隣で携帯をプチプチやっている。
「彼氏でもできたんねー?」
「あん?めずらしいじゃんか、おかぁんがそんなこと聞くなんて。ヒロミちゃんよ、ヒロミちゃん」
「あぁ音大の?」
「そっそ。なんか比治山がうんたらって曲で全国四位になったんだって」
「えーっ、すごいねぇ!」
「いや、大学が、よ。ヒロミちゃんは端っこの方で笛吹いとっただけらしいけど」
「あんたもなんかしんさいや!最近部活もロクに出ちゃおらんのんじゃろーが」
「はっはっは。この親にしてこの子ありですよ。あかぁんもなーんもできんじゃんか」
ふてぶてしい娘はまたサイドウィンドウ越しに併走する広電を眺めている。
確かに、ヒロカは昔から広電が大好きだった。
前の家は近くに走っていなかったから、たまに市内に出て広電を見つけると、乗りたいと言ってきかなかった。
「あんたも広電に乗りたい乗りたいって駄々こねたかわいい時期もあったよねー」
「駄々こねん今のほうがかわいいじゃろ?わがまま言わんこんなえぇ子はおらんよ」
そういう見方もあるのか。
「外は寒いんだろうなぁ」
ヒロカが窓を開ける。
わかっとるんじゃったら開けるなやぁ!寒いよぉ。
広電の走る音を聞きながら目の端を緩める娘の表情は、昔とちっとも変わっていなかった。
(この物語はフィクションです)
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。