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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「広島駅から広電に乗って」
ふっ、と一息吐いてから荷物を持つ右手に力を入れて扉が開ききるのを待つ。
新幹線を降りると早速数人の記者に囲まれる。
1、2、3、今日は4人か。前回は6人だったな。
まぁこの寒さでは仕方がない。ヒロトが戻ってくるのは夏以来だ。
今回は少し間も詰まっているし。
「今回の帰国の目的は?」
「移籍交渉もありうるのでしょうか?」
「コンディション不良がささやかれてますが?」
「故障を抱えた選手は地元でも要らない、と言われていますが?」
つくづく新聞記者というのは言いたい放題だ。
最近は雑誌記者よりもひどい。
ヒロトは全ての質問を無視してエスカレーターに乗る。
降りるときに「むさし」の看板が見えるこの光景が好きだ。
新幹線のホームに通じるコンコースに、屋台のような出店を「むさし」は構えている。
個人的には「ちから」派だが、この光景は悪くない。
「広島に帰ってきた」そんな気がする。
ヒロトの名前が全国区になったのは去年のことだ。
それまではポルトガルリーグの片田舎にある小さなチームでプレーしていた。
高校を出て、サッカーのプロ選手になってから10年。
決して恵まれた選手生活ではなかった。しかし片田舎にあったそのチームが、突然アラブの富豪に買収されたのは一昨年の夏のことだった。それからというものの、チームには一気にスター選手が集まった。
去年のリーグ戦はぶっちぎりの優勝。
その影で、元々いた多くの選手がポジションを失い、チームを去っていく中、幸運にもヒロトはチームに残っていた。同じポジションに来るはずだったアルゼンチンの選手が八百長で捕まり、ぽっかり空いた穴にヒロトは残った。
昨シーズンはコンディションも良く、ヒロトもコンスタントにプレーし、優勝に貢献した。
ただ、終盤に追った怪我と、チームがそのポジションに新たに選手をナイジェリアから連れてきたお陰で、今シーズンはまだ2試合しか試合に出ていない。
そのどちらも途中出場だ。
夏のオフに日本に帰ってきた時には、急にテレビに引っ張りだこになった。
どこに行ってもスポーツ新聞の記者がついてきた。
広島には3日間滞在していたが、その間もずっと付きまとわれてうんざりした。
怪我をおったとはいえ、ヒロトはまだ28歳。
サッカー選手としてはちょうどピークを迎える年齢だ。
ヒロトは昔から、ゆくゆくは広島にあるプロチームでプレーしたいと公言し続けていた。
ユーラシア大陸の西の果てで、誰も知り合いのいない片田舎のひもじい暮らしの中で、
ずっと思い続けてきたのは故郷のことだ。
ヨーロッパでプレーしている、とはいっても、ポルトガルリーグは二線級。
日本のプロリーグにも及ばないようなチームで鳴かず飛ばずだったヒロトには、地元のチームへの移籍さえも、遠い夢のことのように思えた。
日本に帰ってきても記者なんて一人もコンタクトをとってこなかった。
それがどうだ。
ヒゲをたっぷり蓄えたオッサンの登場で人生が変わった。
いまや広島への凱旋はちょっとした話題だ。
移籍はあるのか?地元に戻るのか?
皆、半信半疑で遥か西の漁村から帰ってきたこの若者の動向に注目している。
改札を出て、在来線の上を横断する通路を越えて南口へ向かう。ヒロトの家は市内にあり、北側にある新幹線口から出るより、在来線を越えて南口から出た方が便利なのだ。
それに、ヒロトは広島に戻ってきた際には、市内電車、つまり広電を使うことに決めていた。
タクシーなんてもってのほか、という薄給時代の習慣が身についている。
昨年、給料が3倍になったが、その習慣は抜けなかった。夏のくそ暑い中でも、広電に揺られて自宅に戻った。途中、隅っこで深めに帽子をかぶった若者がヒロトだとわかり、ちょっとした騒ぎになったが、それも気分は悪くなかった。夏の暑い広島市内をゆっくりと進む鉄の塊の中で、初めて自分が誇らしげに帰郷しているのが分かった。
今回は、どんな気分になるだろうか?
改札を出ると、まだ建物の中だと言うのに、一月の冷たい風が吹き込んでくる。
実にオープンな駅ビルだ。
初めは質問を無視するヒロトに突っかかってきていた記者達も、ようやくあきらめたようで、
ブツブツ言いながらタクシー乗り場の方にとぼとぼ歩いていく。
ヒロトはもう一度荷物を持つ右手に力を入れる。
自分はこの街に帰ってくるだろうか?
この街のプロチームでプレーするだろうか?
この街のプロチームは自分を受け入れてくれるだろうか?
プレーしたい。
でも、まだ、今じゃない。
広電広島駅のホームから比治山下経由宇品行きの電車に乗り込む。
150円を支払い、帽子のつばを目の高さまで下ろし、ヒロトは、ふっ、と息を吐いた。
(この物語はフィクションです)