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広島市内を走る路面電車。通称「広電」。 |
ここではその「広電」の駅にちなんだショートストーリーを公開しています。 |
全て作り話の”つもり”ですが、広電に乗ればそんな風景も・・・ |
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広電物語 : 「手紙」
ゴトゴトと広電に揺られながら手紙を握り締める。
今日はどうしても賭け事がしたくなった。
いつもは競馬以外の賭け事に興味を示さないモトヒロも、朝届いた一通の手紙を見た途端、居ても経ってもいられなくなった。
見た途端、と言っても、別に封を開いたわけじゃない。
差出人の欄を見て、だ。
手紙の差出人は、ヒロエモンになっていた。
ヒロエモンはモトヒロの父親、つまり広島家の家長だった人だ。
筆跡は明らかに母親、つまりヒロエのものだった。
ヒロエモンは既に五年前に亡くなっているし、ヒロエは二年前に亡くなっている。
消印は最近だったから、恐らく親族の誰かがこの手紙をずっと保持しており、ヒロエモンの遺言どおり、つまり今年の夏に開かれる十年に一度の広島家総集会に向けて投函したものに違いなかった。
封書の頭には、ご丁寧に『総集会招待状』と書かれている。
恐らく配達した郵便局員も何事か、とたまげたことだろう。
広電は御幸橋を右手にゴトゴトと進む。
いつも通りのゆったりとしたその音とアナウンスがモトヒロの騒ぎ立つ気持ちをわずかに和らげる。
窓の外にはすっかり春めいた日差しが指しており、時折車内からも桜の木が目に入った。
街全体が、ソワソワソワソワ。
何かが起こるような、これから何かが始まるような、そんな予感に包まれている。
モトヒロはそんな街の空気を疎ましくさえ思う。
嗚呼、また総集会が近づいてきたのか・・・
胃の底がキリキリと痛む。
電車はゴトゴトと進む。
右手には、手紙、左手には、競輪新聞。
実のところ、モトヒロはヒロエモンの長男、すなわち現広島家の家長だ。
しかしながら家を出た後、モトヒロはロクな人生を歩んでいない。
せっかく勤めだした会社を喧嘩でやめ、タクシー運転手は飲酒でパァ。
その後もある会社社長の腰巾着のようなことをやっては流川に通い詰め、妻にはとっくに愛想をつかれている。
一人娘が嫁に出て以来は、競馬ぐらいしか味方もいない。
弟のヒロタが果物屋に養子に入り、地道にコツコツとやってきたのは恐らく自分の反面教師だろう。
当然、親父や親族に合わせる顔もなく、総集会は苦痛以外のナニモノでもなかった。
ただ、今回は少し違うような気もする。
ヒロエモンもヒロエも既にいない、ということは自分が出席しなくても怒鳴り散らす人もいない、ということだ。
また逆に、集会に出ても、ポーンと現金を遣してくれる人もいなくなった。
出る必要がない、というかそもそも家長たる自分がこんなんでは開催もされないだろうと思っていた。
ところがこの手紙だ。
誰だか知らんが、親父か母が総会の開催を託したのだ。
親父は死ぬ間際、ヒロエに「葬式はどっち向いてもかまわんから、総集会は予定通り開催してくれ。例のものは既に用意されている。それを見つけたやつに、ワシの全部をやってくれ」と言った。
恐らくヒロエだけが知っていた何かだったのだろうが、ワシら親族は騒然とした。
「い、遺産に違いない・・・」
段々と海岸通の電停が近づいてくる。
どうもこのあたりの風景は変わってしまった。
広島家は瀬戸内海に浮かぶ小島にあったから、このあたりは子供のころよくヒロエに連れて来てもらっていた。
宇品から広電に乗って、市内あたりに出て用を済ませ、鷹野橋や御幸橋あたりで買い物を済ませて、また宇品に帰ってきたもんだ。
海岸通なんて電停はなかったような気がする。
弟と違って勝気だった自分は、朝は我行かんという心境で街に出てからのことしか考えていなかったし、帰りは帰りで疲れて宇品で起こされるまでグッタリと寝ていたもんだ。
十五で家を出てからも、現在六十一歳に至るまで滅多に実家には戻らなかったから、余計に記憶がない。
それでもこのあたりが全く昔の面影を残していないことはわかった。
ゴトゴト響くこの音だけが、変わっていない。
兄弟達は、叔父や姪たちは元気しているのだろうか。
娘とはしばしば顔を合わせるが、それ以外がどうなっているかはわからなかった。
まぁ葬儀の連絡が着てない、ということは皆生きてはいるんだろうが・・・
総集会は島で開かれる。
そういえば、あの家には誰か住んでいるのだろうか?
ヒロエが亡くなってから一度も尋ねていない。
全く家長失格だ。
愛想着かされるのも、わかるよ。
いよいよ車内アナウンスが、海岸通に着くことを告げる。
競輪場は数年ぶりだ。
窓に顔を近づけて思う、こんなに街が変わっていて、行き方はわかるんじゃろか?
百五十円を払って、ゆっくりと電車を降りる。
春の日差しは思いの他強く、クラクラしてくる。
二つ先は、宇品の終点だ。
総集会が開かれるとしたらそれは六月。
しょーがない、行くか。
招待状が着たら、出走するしかないじゃろ。
一応、『元』本命なんじゃから。
自分を降ろした広電が相変わらずゴトゴト音を立ててゆっくりと走り去っていく。
横目でそれを見ながら、モトヒロは競輪場に向かう。
こうやって自分は道から逸れたのだ。
分かっている。金を払ってまで降りたのは、自分。
まぁえぇじゃないか。
なぁ、親父。
モトヒロは目を細めて宇品の方を見た。
遠くで海がキラキラ光っているのがわずかに見えた。
(この物語はフィクションです)
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